兵庫県高砂市にある石の宝殿に来ております。
そう。兵庫県のマイナー史跡と思われるでしょうが、実はとんでもなくスケールの大きな考察になってゆきます。タイトルも大それてますよね。それもそのはず、グラハム・ハンコック氏のベストセラーを拝借しております。
このイラストでは突起部をメインに書いてます。
近いアングルがこんなところでしょうか。明らかにこの突起はおまけでなく、重要な意味を持って付いているに違いありません。
山頂付近から南東を映しました。正面にあるのが竜山です。やや右手に見える岩肌が、古くから続く採石の痕跡です。
山頂付近です。大正天皇がこの地を訪れた記念碑があります。地面はすべて岩盤です。
北へ向かって岩肌を歩いていけます。
北西には水源もあります。
真東はスポーツ施設と近代的な市街地が見えます。
ふたたび浮石の近くに戻ってきました。こちらからは上に生えた植物がよく見えます。
下山しました。しっかりと観光地として整備された神社だと、改めて思います。
崇神天皇の十三年とありますから、BC85年という年が出てきます。しかしどうやら巨石を祀った神社の造営であり、巨石自体はもっと前からあったということになります。
大己貴神(おおなむちのみこと)と少彦名神(すくなひこのみこと)の2神が出雲の国から来て一晩でこの石を削り出し、作業途中で反乱が起こったため、未完成のまま放置された。ということです。
手水舎はゴージャスにも龍の彫刻が。
東播磨地方の町おこしスタンプラリーが行われているようです。
正式にはここから続く階段を登って神社に行くようです。今は車で行けるので楽ですね。

この遺跡にまつわる言い伝えで重要な点は、出雲から来た神が、超人間的能力で作ったこと。
そしてこれは完成しておらず、プロジェクトが中断されたまま現在に至っていることです。

次回、あまりに壮大な妄想による考察にお付き合いいただきます。