少し前になりますが、9月末に丹波篠山、八上城へ遠征してきました。

「八上(やかみ)」とはヤーウェの神という発音からとられた地名であると考えられます。
波多野氏もイスラエルから中央アジア・キルギスタンを経由し、大陸から日本列島に渡来した「弓月の民」の末裔である秦氏と同族と連想できます。

この篠山には私が強く影響を受けております、宇野正美先生が主宰してらっしゃるリバティ情報研究所の本拠地があり、ユーチューブで観た講演の内容を確かめたくて、今回の遠征を敢行いたしました。
やや遠景からの眺め。「丹波富士」と呼ばれる美しい高城山全体は戦国期に要塞化され、丹波の戦国大名・波多野氏と、明智光秀による激戦が繰り広げられた古戦場ともなりました。
八上という地名は山城のある北側の麓、山陰街道が東西に走る城下町付近を指す地名です。八上小学校の校舎も、雰囲気のある建物となっています。
小学校の向かいには、やはりきれいな神社がありました。「糯ケ坪(もちがつぼ)稲荷」と呼ばれ、公民館も兼ねているようです。
奥には赤鳥居。左右の狛犬はキツネです。
登山口近く、駐車場の案内看板に、控えめですが大河ドラマにあやかったポスターも見えます。
登山口にある立て看板です。明智光秀と戦って命を落とした波多野秀治・英尚まで100年間ほど、丹波国の中心として機能していたようです。
表側の登山道、春日神社ルートからいよいよ登山開始です。山頂まではおよそ45分から1時間。リフトはもちろん、山荘も売店もないようですが、わりと歩きやすく整備された道です。急斜面は階段になってますが…やはり太腿に来ますね。
およそ5〜10分おきに山城ならではの曲輪跡があります。山全体の尾根や起伏を活かした造りです。
まわりの景色を眺めつつ、ほどよく休憩できます。
登山道の横はフェンスもなく、そのまま急な崖が。
城を攻めとるには急斜面を登りながら、こうした防御拠点をひとつずつ攻略しながら、山頂の本丸まで進んでいかなければなりません。
二の丸まできました。ここは樹木が伐採され、急に強い日差しが当たるようになりました。
二の丸からすぐ上、ついに山頂・本丸につきました。墓標や石碑も建てられています。
山頂まで来ると、やはり景色も違って見えます。先ほどの二の丸で樹木が伐採されていたのは、この景色をよく見えるようにするためだったようです。
この写真中央やや上にうっすらとみえるのが、江戸時代になって平野部に建てられた「篠山城」の堀と石垣のようです。

2へ続きます。