白人神社から少しはずれ、山に向かって階段を登った先にあるのが奥宮「磐境神明神社」です。
え?低い石垣しか無いんですが。
たしかに案内板には神社と書いてあります。
内側はこのようになっております。細長い教室のようですが、なんとコレをイスラエル人が見ると「シナゴーグ(ユダヤ教徒の会堂)」であると言います。
今では屋根も壁もあってステージや教壇が置かれているそうですが、イエスキリストの時代はこのような場所に人々が集まって、律法(モーセ5書)の朗読などが行なわれていたようです。
そういえば、沖縄のウタキとかグスクも、こんな風景だったでしょうか。
登りはしんどさで気付きませんでしたが、階段の上から下を見るとチョット怖いですね。だいたいビルの7階か8階ほどの高さから、急な階段を下りていかないといけません。
もう一度白人神社の社殿を。
こちらはごく普通の神社らしい立派な神社ですが、なぜ山の上にわざわざ不思議な奥宮を作る必要があったのでしょうか?
天皇家との結びつきも強い三木家のお膝元、木屋平(こやだいら)は、吉野川沿いの市街部からかなり山奥へ入ったところにありますが、平地がちで道幅も広め。普通の農耕だけでなく、酪農や製糸業も栄えていたようです。
祖谷山村や一宇とはまた違う印象がありました。
やはり特別な理由があるのは間違いありません。
いよいよ四国に分かれを告げ、鳴門海峡を渡ります。
淡路島、西淡三原あたりの風景です。
淡路島の農村は海沿いより内陸に作られることが多いような気がします。
日本列島に移住し、ごく初期に淡路島で生活の拠点を置いた人々は、千住民からの目を逸らすため、島の外から見えない場所から開拓していったのでしょうか。
段々畑も、高速道路にむかって低くなっているように作られているように見えました。
むしろこの景色を見せるために高速道路を作ったのかもしれません。

以上、今年も天候も持ち、無事に剣山遠征は果たせました。新型コロナウィルス騒動も第2派の話題が持ち上がっており、来年も夏祭りが復活するかどうかはわかりませんが、私にとって貴重な年中行事なので、また楽しみに1年を過ごします。