明けましておめでとうございます。遅い! はい(笑)

早速ですが、年末に日本が「国際捕鯨委員会」から脱退した話題です。今回は霊的マスターと呼ばれる方の示唆される内容も含めまして、書いていきます。昔から島国日本にとっては生活と関わってきたクジラ。しかし今ではクジラを食べないと生活できないような状況は皆無です。時代は変わっています。今の時代に、さて捕鯨が本当に必要なのでしょうか、という問題です。大きく日本、または世界、さらには地球という感じで枠を広げて物を考える時に、捕鯨をどう考えるべきでしょうか。ただ一つ霊的な面から言えるのは、物珍しさで食を貪るのは、徳の高い人のするべき行動ではないということです。マスターは言います。

みなさんは、人間が一番霊的に進んでいてイルカやクジラは動物のように低いものと思われるかもしれませんが、本来の霊的体というのが物質的な人間とかクジラとかいうのを抜け出てしまえば、クジラも同じようなものなのです。クジラはそれだけ霊的に進化していて、海の中で平安という波動を常に与えている存在なのです。ですから特に日本人にとっては、捕鯨というのは今の時代あってはならないことなのです。伝統とか歴史という枠でものを考えるという失態をしてはなりません。捕鯨が激化すれば、日本ではそれだけ犯罪や災害含めた平安のない日本にならざるをえないのです。今の日本で生活のためにクジラが必要というのは皆無でしょう。

私は一部を提示するだけで、これについての意見は皆さんがそれぞれ持たれればよいことだと思います。ただ何事もそうですが、物事の理解というのは人が巷の情報でああだこうだという内容以上に、「時空を超えて」、わかりやすく言いますと、より空間的にも広い範囲、かつ微細なレベルで、時間的には過去未来も含め、示唆的に読むことができる人たちがいると思います。マスターと言われる人たちはこのような方々だと考えていますが、彼らが言われる言葉を一度は受け取って、自分なりに吟味する機会というのは非常に重要ではないかと思っています。マスターという存在もですが、老師、さらには大師とか聖師とか言われる人々に共通するメッセージがあります。それは、人間という存在に生まれることが全く稀有で、貴重な出来事であるという事実です。億レベルの宝くじに当たったようなものなのです。でも、宝くじで身を滅ぼした話はよくありますが、稀有な機会を活かさず、「狐でも狸でもよかったんじゃないの」とは言われないようにしていきたいものです。

話は変わりますが、日本には神道と仏道ってあります。仏道の経典と言われるもののほとんどは、いろいろな分派があるにしても、仏教がインドから入ってきており外来性のものです。さて神道はとなりますと、何かの教えと呼ばれる経典というのがパッとしないのが現状かと思います。しかしスピリチュアルに関心のある方ならご存じかもしれませんが、昭和の戦前から戦後にかけて神霊が、岡本天明という神道家に降り、数字という形で彼が自動書記したとされる「日月神示」という書物があります(千葉県成田市の麻賀多神社がスポットです)。

元来「数字」という暗号で降りたもので、後に数字が日本語化され、万人が内容を理解できるようになったという摩訶不思議な書籍です。私もスピリチュアルに関心を持った初めの頃は、その文章や内容など全く受け付けませんでした。しかしスルメみたいに噛めば噛むほど、これは日本人に降ろされた神示なんだという実感があります。日本人なら一度は目を通していただきたい本だなあと私は思います。初めての方にはダイジェスト版の「ひふみ新世紀」という方がお勧めです。わかりやすく整理されてますので。もちろん小冊子なのでカットされてる部分も多いのですが。

この「日月神示」ですが、その中に日本人の食について書いてある文章があるので、列記してみます。

「悪い食物、悪く食べるから、悪くなるのぢゃ」
「食いて生くべきもので人殺すとは何事ぞ」

「口から入るもの気つけよ、いくさ(戦)起こるのぢゃ」
「腹八分、二分は先ずささげよ。運ひらけるぞ。病治るぞ。」
「人は思うておるより少しの食べ物で生きられる。食べるということはその生命をいただくことじゃ。」
「食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。口から出るもの、入るもの気つけよ。」

「みなみな気つかん理、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。」

「四ツ足を食ってはならん。共喰となるぞ。草木から 動物生まれると申してあろう。神民の食物は、五穀野菜の類であるぞ。」
「日本には、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆 人民の食いて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ。日本人には肉類禁物ぢゃぞ。」
「日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、人民の食物間違へるでないぞ」

「食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。霊の栄養、大切」

「霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む。現実社会に於ける、山菜、果物、海草等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。何故ならば、性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、返って不快となるからである。そして霊人は、これらの食物を歓喜によって調理している。そしてまた与えられた総ての食物は、悉く食べて一物をも残さないのである。」

この日月神示の全体を通して流れてる軸は、「霊主体従」という流れです。非常に「霊」という部分をくどいほどまで述べています。それはそうでしょう、今の我々は、「体」の事しか意識していない人がほどんどだからです。先ほどのクジラの話に話を戻しますが、もし子犬を飼っていて、食っていけなくなったから子犬を食用にしようと思うでしょうか?(そういう国々もあるようですが) 子犬が自分の心を元気づけ、伴に平安な時間を過ごしてくれた相棒なら。日本人ならそんな事をする人は希でしょう。しかし海の中の見えないクジラは?

結論は皆さん一人ひとりが持たれれば良いと思いますが、日月神示にもあるように、日本人にはそれほど無理しなくてもそれなりの食べ物が与えられていて、それを受け入れ、食という問題で動物的になるのではなく、さらにさらに霊的に進化することが示唆されています。ちなみに私は子供の頃クジラが食事に出た事はありましたが、美味しいと思った事は一度もありませんでした。むしろイワシやアジなどが大好きです。今回はイルカやクジラを題材にしていますが、霊的な面からは、人に近いとされる四つ足動物は神示にも、堂々と食べるなと書いてます。食べて肉体としての生命がいかばかりか伸びたとしても、霊的マイナス面、つまり動物のように貪るという部分、そこにメスを入れてくれているのだと感じます。

今回は新年特別号ではないですが、写真を豊富に使ってみました。今年もよろしくお願いします。