兄妹の語らい | hirochanのブログ

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5月3日(水)

12:00起床。

今日は妹夫婦が名古屋から松阪の父母の家を訪ねにやって来る日です。

それに合わせて、僕も松阪に行く予定にしていました。

14:00頃、妹から電話があったので16:00頃行くと伝えました。

四日市から近鉄特急に乗って40分くらいで松阪に着きます。

松阪駅に着いた僕はいつもはタクシーを使うところ妹に電話して自動車で迎えに来てもらいました。

父母が老いた今、この辺で妹と話し合うことを始めていく必要があると感じていたからです。



妹に迎えに来てもらった僕は、父母の家に行く途中にある第二小学校に寄ってもらいました。

第二小学校は僕や妹の母校です。


母校のシンボルだった特徴のある三階建の図書室が取り壊され当時の面影を残しているのは、体育館年プールぐらいでしょうか。

僕は自分自身に起こった職歴上の苦労話しから妹に話しかけました。


僕の話しを聞いて、妹は「大変だったね。」と言いつつ「実はうちの旦那も諸事情でこの4月に転職して、今新入社員として頑張っている。」

と返してきました。

妹の家も大変だったのだなと思いました。

妹の旦那の気持ちは痛いほどよくわかります。


その話しが一段落したところで、父母が亡くなったときの遺産についてやも初めて話し合いました。

結果として話しの口火が切れたことはしゅうかだったなと思います。



妹と一緒に父母の家に到着しました。

夕飯はガストからテイクアウトしたものでしたが、僕の分だけスシローの特上寿司をテイクアウトしてくれました。

スシローの特上寿司は普通のすしやの出前寿司とは比べようのないほどネタが格段に上級です。

素晴らしいおいしさでした。



僕は父親の様子が気になりました。

父親は今生きてるだけで精一杯の様に見えました。

自分自身の中だけで生きていて、周囲への感覚がぼやけているように見えました。

母親が暖かく父親のことを思っていてくれることが一縷の救いの様な気がしました。



その母親を支えていくのが僕の役割りだと思っています。

僕は毎日母親に必ず電話して、励ますようにしています。

これは奥さんが奥さんのお母さんに毎日2回電話していることを見習って始めたことでした。



人間は互いに支えながら生きています。

僕はこの繋がりを大切にこれからも生きていこうと思います。

これをきっかけに妹とは、これからも連絡を取り合って行こうと考えました。