アユタヤ王朝の戦象が属した象局-1 | タイに魅せられてロングステイ
2010年02月07日(日) 07時10分18秒

アユタヤ王朝の戦象が属した象局-1

テーマ:風土・文化・歴史・治政

(前回ブログからの続きです)

前回ブログ(2月3日)では、
“ 象部隊の戦象 ” が、どの様な戦闘を繰り広げていたかについて触れました。

本日のブログでは、
戦象 ”が、アユタヤ王朝の宮廷内でどの様な組織に属し、
どの様な “ 編成と用象 ” をされていたかについて触れてみたいと思います。


アユタヤ王朝の中央政権の統治体制は、
時代によって幾多の変遷はあるものの、
概ね、“ 民部 ” と “ 軍部 ” の二つの分野に分かれていて、
それぞれの部の管理監督を王朝の貴族階級が務めていました。
 
         ① “ 民部 ” 傘下には、宮廷局、大蔵局、農務局、畿内局、
         ② “ 軍部 ” 傘下には、象局、馬局、十職局、義勇局


“ 象部隊の戦象 ” は、
軍部の “ 象局 ” ( クロム・コッチャガム ครมคชกรรม ) に属していました。


因みに、アユタヤ王朝で活躍した日本人のオークヤー・セーナー・ピムック(注1)は、
軍部配下の義勇局(注2) の前衛総司令官の要職を兼ねていたことから、
ビルマ王朝との間で幾度も繰り返された騎象戦では、
“ 象部隊の戦象 ” を駆使して手柄を立て、立身出世を遂げたと思われます。

       (注1)日本人が国王から賜った欽賜名のタイ語: オークヤー・セーナー・ピムック ออกยาเสนาภิมุก
       (注2) 義勇局のタイ語名: クロム・アーサー ครมอาศา。この局内に日本人の義勇部隊がありました。 

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左身ごろの衣服を着て進軍するアユタヤ王朝の日本人義勇兵の絵図
( 戦象の首根に跨るのは日本人部隊の司令官 オークヤー・セーナー・ピムック でしょうか? )


タイ側の史料の中に、日本人のタイ語の欽賜名は記録されていますが、
彼の日本名とされる“ 山田仁左衛門長政 ” は、付記されていないために、
彼を架空の人物とする説も少なからず存在することは承知しています。
しかし、その主張を著した上質な論文は、未だに見たことがありません。


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タイ語で書かれた最近の史書には、山田長政の名前と彼のタイ語の欽賜名が併記されています。
( ยามาดา นางามาซะ = 山田長政 、 ออกยาเสนาภิมุก = オークヤー・セーナー・ピムック )

 
多くの著名な日本人の歴史学者は、
戦前の日本軍部のでっち上げ物語や江戸時代の荒唐無稽な講談は否定するものの、
徳川幕府の黒衣の宰相・金地院 崇伝が著した “ 異国日記 ” (注)の記述から、
この日本人は “ 山田仁左衛門長政 ” だと比定しています。

昨年、一時帰国した折に、国会議事堂図書館に出向き、
金地院 崇伝が手書きした “ 異国日記 ” の写しを読んだ僕も、
“ 山田仁左衛門長政 ” の比定説の正当性を強く印象付けられまました。


無計画に書き連ねる悪い癖が出て、
本来のテーマから大きく逸れてしまいました。

ブログとしては、少々長くなってしまいましたので、
申し訳ありませんが、続きは、次回ということにしたいと思います。


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