メコンオオナマズは絶滅したのだろうか?
(これを煮込んだお粥美味しかったが)
ビエンチャンの象徴的とも言えるタート・ルアン。
タート・ルアンは元々3世紀にビエンチャンの街が出来た時に建造されたもので、仏舎利を納めていると言われています。
その後クメール様式の寺院として12世紀に再建されるも放棄され廃墟に。16世紀にラーンサーン王国の首都がルアンプラバンからビエンチャンに遷都された時に現在の場所に移転再建。
しかし、その後ビルマ、タイ、中国により何度も破壊されたものを、仏領インドシナ時代の1930年代に再度再建されています。
リンガ。クメール・モン様式(Khotapura period )。9ー11世紀頃。
9ー12世紀頃の仏陀立像。後期ドバーラバティー様式、又は初期クメール様式。
タイ・ルー様式の仏像
(14世紀頃)
(18世紀頃)
金色は近年のペイント塗装でしょう。
上部の石彫は寺院のまぐさ石と同様精緻ですが、デザインが鳳凰で中国的(後代の作?)。
(これだけ18世紀)
次に、「パトゥーサイ(凱旋門)」。
門の内部の天井にはラーマーヤナの場面の装飾が施されています。
「アヌサーワリー」は「記念碑」、「パトゥーサイ」は「勝利の門」という意味である。
アヌサーワリー・パトゥーサイは、1962年から、内戦の終結とパテート・ラーオの勝利を記念して建造が開始された。ラーンサーン通りをパリのシャンゼリゼ通りに見立て、パリのエトワール凱旋門を参考にして建設を行ったと言われているが、それ自体はラオス様式である。資金難により工事が貫徹されぬまま終わり、現在でも未完成のままである。(ウィキより)
前回来た時には、凱旋門の下に店があって、虎舌銭がたくさん売られていたのと、アメリカ海兵隊が50m位ありそうな竜宮の使いみたいな魚を数十人で持っている(多分合成)写真を売っていた事を覚えています。虎舌銭は興味はありませんが、あの竜宮の使いみたいな巨大魚の写真は偽物でも良いので欲しいと思っていたのですが、店はありませんでした。メコン川の神秘みたいで面白い写真だったので残念です。
お昼はタラートサオのフードコート。
ルアンプラバン行きの高速鉄道の切符を買いに「ビエンチャン・セントラル」と言うモール兼オフィスビルへ。
このあたりが本当のビエンチャン中心街でした。
切符売り場は「sold out 」「no cash/ only accept Union Pay」の張り紙だけで閉店。まだ午後1時半。
ラオス・中国鉄道との呼称で、ラオス高速鉄道とか新幹線という名称ではなく、時刻表やお知らせの張り紙はラオ語と中国語のみ。
ユニオンペイも中国のものですよね。
気分悪くなるやら、腹立たしいやらで、ビルを後にしました。
偶に中国ナンバープレートの車も走っている。
しかし、ルアンプラバンに行くには、高速鉄道がベストなので、仕方なく、ホテルで購入を依頼。
日本の新幹線や欧州の高速鉄道のパクリなので、複雑な心境です。
あの頃,経団連某O会長やマスコミも盛んに「中国に進出しない事のリスク」を囃し立てた結果がこのザマです。他にも色んな酷い事例盛りだくさんでしたが、やっと最近になって中国離れが進みそうですね。
夜は近くの「cafe ango 」へ。雰囲気の良さそうな店だったので、入ってみたら日本人経営の日本食/ラオ料理とのフュージョン料理でした。
料理はもちろん、色々旅情報も頂き感謝。リピートするでしょう。
ビアーラオも地元で飲むと美味い!
蚊が出ない事を祈りつつ。近くで延々とカラオケ大会。平和な夜が更けていく。
(続く)