どうしても友達になりたい人がいます。
その人はとても美しく、幻の動物のような神聖さを感じさせるのに、実際のところ寄るものを拒むことがなく、全てを包み込むような眼差しを持っています。
その人は小倉青さんといいます。
その人はとても美しく、幻の動物のような神聖さを感じさせるのに、実際のところ寄るものを拒むことがなく、全てを包み込むような眼差しを持っています。
その人は小倉青さんといいます。
彼女との出会いはミスIDでした。
同じコンテストに出たことで出会うことができました。
同じコンテストに出たことで出会うことができました。
本当に優れたものに触れた時、人は自分とその間にある差に愕然としながらも、その絶望すら意味はなく、むしろそのものがあるゆえに、自らが世界にあることができるような、そんな希望すら感じるのかもしれないということを、私は青さんと見つめあって思いました。
青さん自身はどう感じていらっしゃるのか、それはわかりません。
でも私にとって青さんは本当に美しい。
私がなりたかった美、そのもの。
でも私にとって青さんは本当に美しい。
私がなりたかった美、そのもの。
それでいて、聡く、清く、やわらかい心を持ち、それゆえに傷つくこともあるでしょうが、彼女はその傷を隠すことも、主張して同情を求めることもせず、ただまっすぐに立っている。
ミスIDの選考に使ったCHEERZで、彼女の投稿を読んでいて、彼女は今どこにいるのだろうといつも考えていました。
私と同じ混沌としたこの世界に生きているとは到底思えない、澄み切った泉が青さんの文章からは湧き出ていたからです。
その泉に触れるたびあまりの綺麗さに怯えていました。畏怖とはこのことなのかもしれないと思いました。
私と同じ混沌としたこの世界に生きているとは到底思えない、澄み切った泉が青さんの文章からは湧き出ていたからです。
その泉に触れるたびあまりの綺麗さに怯えていました。畏怖とはこのことなのかもしれないと思いました。
実際にお会いした時、あまりに清らかな瞳に私の言葉は全て吸い出されてしまったように思いました。
私が自らの拙い言葉をどうにか紡ごうとする時、青さんはいつも澄んだ目で私を見つめ、微笑みながら待っていてくれるのです。
その美しさと可愛らしさを併せ持つ表情に私はドギマギして、余計な言葉など、失ってしまうのです。
その美しさと可愛らしさを併せ持つ表情に私はドギマギして、余計な言葉など、失ってしまうのです。
私は本当は、私のお喋りが大嫌いです。
もちろん私のお喋りな口はチャームポイントでもあると思います。でも私は余計なこともたくさん話してしまう。大切なことだけ話していたいと思うのに。
青さんの前に立つと、そんな余計な言葉が失われて、大切なことだけが目の前に現れる気がします。
私が話そう話そうとする時全然見つからない本当を、青さんの目が見つけ出してくれる。虚栄心や自己防衛なんて、洗い流してくれる気がするのです。
私が話そう話そうとする時全然見つからない本当を、青さんの目が見つけ出してくれる。虚栄心や自己防衛なんて、洗い流してくれる気がするのです。
彼女のブログを読むのは今の私の楽しみの1つです。
私の携帯との相性が悪いのか、私が何かヘマをしているのか、コメントは反映されないのですが、いつもその文章に乗せられた青さんの心に大切なことを気づかせてもらっています。
いつかまた会うことができるでしょうか。
会える機会があるなら今度こそちゃんと、「お友達になってください」とお伝えしたいです。
会える機会があるなら今度こそちゃんと、「お友達になってください」とお伝えしたいです。
追伸
青さんに届くと信じて。
青さんに届くと信じて。
ブログの美しい言葉と、時々混じる細かなユーモアがとても好きです。
これからも楽しみにしています。
平井早紀