サルー・ブライアリーの自身の体験を綴ったノンフィクションを映画化した作品。原作は未読です。

 

1986年。インド西部の炭鉱に近い田舎町、カンドワのスラム街。5歳のサルーは、兄と遊んでいる最中に停車していた電車内に潜り込んで眠ってしまい、そのまま遠くへ運ばれ迷子になってしまいます。やがて彼は、オーストラリアの夫婦の養子となり、25年が経過します。人生に穴があいているような感覚を抱いてきた彼は、それを埋めるためにも自分を生んだ母と血の繋がった兄弟を探すことを決意。幼い日の記憶を手掛かりに、Google Earthを駆使して探し始め...。

 

サルーが仕事を捨て、恋人や家族から離れて自身のルーツを探すようになる過程におけるサルーの心情の描写が薄く、彼の生みの母を想う気持ちや育ての親への感謝との狭間で揺れる心、恋人であるルーシーの献身への想いなどが今一つ伝わってきません。そのために、サルーの言動が身勝手なものに感じられてしまいました。生母を探すことが育ての母への裏切りになるのではないかと悩む場面も描かれてはいるのですが、そこがやや弱かったです。

 

実話を基にした作品の割には、実話感に欠けるのも、登場人物たちを取り巻く状況が動いていく時の背景の描写が薄かったことが影響しているような気がします。

 

イマドキならではのGoogle Earthを駆使した故郷探しは見応えありました。まぁ、TwitterとかFacebookとかSNSを利用した情報収集もする方が自然のようにも思われますが、それが見えてこないのは、スポンサーであるGoogleへの配慮でしょうか。

 

サルーの弟であるマントッシュもいつの間にか消えてしまって残念。彼との関係については、もっときちんとカタをつけて欲しかったような...。ルーシーとのロマンスについても、途中、バランスの悪さが感じられるほど大きな比重が置かれていましたが、何となくフェードアウトしてしまった感じで、どうも落ち着きません。

 

その辺りはともかく、貧困、子どもの労働、ストリート・チルドレンといった社会問題や、社会の底辺に押し込められた子どもたちを救うための養子縁組の取り組みといったところに眼を向けさせてくれるという点では意義のある作品であることに間違いはありませんし、ルーツ探しのドキドキハラハラと感動は大きかったことも確か。

 

そして、サルーを立派に成長させ、生母を探す彼を受け止める育ての母、スーを好演したニコール・キッドマンの丁寧な心情表現が印象的でしたし、とても演技経験がないとは思えない子ども時代のサルーを演じたサニー・パワールが輝いていて心に残ります。

 

残念な部分もあり、特別に感動できる作品ではないと思いますが、全体としては悪くない作品です。