名門進学校に通う女子高生、イザベルは、家族と夏の休暇を過ごした浜辺で知り合った男と"処女を捨てるため"の初体験をし、その数日後、17歳かの誕生日を迎えます。パリに帰ったイザベルは、出会い系サイトで相手を物色し、売春を繰り返すようになります。




裕福な家庭で生まれ育ち、医師の母とその母の再婚相手で血の繋がらない仲ながらも優しい継父に愛情を注がれているイザベル。美人でスタイルも良く、その気になれば、ボーイフレンドにも困らない彼女が、何故、売春を繰り返すのか...。




嘘か誠かはっきりしない母親の"不倫疑惑"とか、仲が良いと思われた知人夫婦の家に置かれていたあるグッズとか、"大人の世界にあるいかがわしさ"も描かれますが、それが売春に走る原因...というのも無理があるような...。




彼女の生活を見る限り、お金のために売春をせざるを得ない程、経済的に困窮しているとは思えず、こうした形で相手を見つけなければならない程、異性と出会えない環境にいるとも思えません。売春で得たお金はクローゼットの中にしまいこんで使わないし、セックスを楽しんでいるようにも見えません。それなのに、何故、売春を繰り返すのか...。コトがばれて母親に問われても何も言おうとしないイザベルですが、彼女自身の中にも、その答えはなかったのかもしれません。




大人にもなれず、子どもでもいられない17歳の危うさ、若さと美貌を兼ね備えていたからこそ入り込んでしまった迷宮。もちろん、これは、17歳の側だけの問題なのではなく、若さと美貌を売れる市場を形成する側の問題でもあります。イザベルは、若さと美貌だけに金を払う客たちをどう感じているのか...。




イザベルを演じるマリーヌ・ヴァクトの見事な美しさは印象的なものの、どこかで観たことがあるような"大人になる少し手前で、大人の世界の裏側に落ち込みそうになった少女の物語"で終わるのかと、がっかりしかける頃、"大物登場"。




ジョルジュの妻、アリスの登場によって、物語が急展開し、本作の持つ味わいがぐっと深まっていきます。




アリスは、イザベルに言います。「私も若かったら、金を払わせて男と寝たかもしれない...。ただ、勇気が足りなかっただけ。」と。けれど、今では、自分の方がお金を払わないといけないだろうと。イザベルが持っていてアリスが持っていないものは、若さと綺麗さ(イエ、アリスを演じたシャーロット・ランプリングは、十分美しいですが...)。それでも、アリスの存在感は、イザベルを圧倒します。イザベルもアリスに対する"負け"を自覚したのではないでしょうか。




この時、イザベルは、少女から大人の女性に一歩を踏み出したのではないかと思います。このクライマックスを観て、もしかしたら、イザベルは、売春をすることによって、自分の若さと美貌の価値を実感していたのかもしれないと思いました。そして、若さと美貌を武器に、世の中と闘っていたのではないかと...。




子どもが大人になるためには、大人に対して徹底的な敗北感を味わうという体験が必要なのではないでしょうか。そして、イザベルは、アリスに対し敗北感を味わったのではないかと...。イザベルのこの先を予感させ、余韻を残す印象的な幕切れでした。






公式サイト


http://www.17-movie.jp/