1953年に公開された小津安二郎の名作「東京物語」の家族を平成に移して作られた作品。


2012年5月、瀬戸内海の小島に暮らす平山周吉と妻のとみこは、子どもたちに会うために東京へやって来ます。郊外で開業する医師の長男、幸一の家に数日間滞在しますが、休みの日に皆で出かる予定をしていても、患者の容体が悪化し、急な往診を頼まれたため予定はキャンセル。周吉ととみこは、時間を持て余します。次は、長女の滋子の家に泊まりに行きますが、美容院を経営する滋子は忙しく、両親の相手ができません。滋子に頼まれ、次男の昌次は両親を東京の名所巡りの遊覧バスに乗せますが、自分は疲れて居眠り。鰻屋で昼食を取りながら、周吉は、舞台美術の仕事をしている昌次に将来の見通しはあるのかと問いただします。昌次は、昔から自分に厳しい周吉が苦手でした。その頃、滋子は幸一にお金を出し合って2人を横浜のホテルに泊めることを提案します。ホテルでいまひとつ落ち着けず、2泊の予定を1泊で切り上げ、滋子のところに戻ってきた夫妻でしたが、滋子に予定があって泊められないと言われてしまいます。周吉は同郷の友人、沼田を訪ね、とみこは昌次のアパートへ行くことにし...。


子どもたちの家を訪ねる夫妻。長男の幸一は開業医となり、長女の滋子は美容院を経営。それぞれ家族も持ち、それなりに自立した生活をしています。まぁ、そういう意味ではしっかりと大人になった2人ですが、日々の仕事の忙しさに、両親とゆっくり付き合うことができません。周吉もとみこも、子どもたちの家にいながら、どこか居心地の悪さを感じています。


でも、決して悪い家族ではありません。むしろ、作中で指摘されている通り、平山周吉、とみこ夫妻は、相当に幸せな方なのではないかと...。確かに、幸一の家でも、滋子の家でも、どこか、居心地の悪さを感じている様子ですし、幸一夫婦も滋子夫婦も、どこか、周吉ととみこを敬遠してはいます。けれど、それなりに気遣いをしているのも確か。昌次や紀子とは打ち解けますが、次男の家には最初から短時間の滞在の予定だったわけだし、紀子には別に帰る家がある。ギリギリのスペースしかない自分たちの生活空間に庄吉、とみこ夫妻を受け入れなければならなかった幸一一家や滋子夫妻とは置かれた状況が全く違います。幸一や滋子の家に普段使わない客間がるとか、夫妻を受け入れるてもそれまでの家族の日常のペースが乱されない状況にあるとかなら、幸一や滋子も、昌次や紀子のように夫妻に温かく接することができたのかもしれません。紀子は、東京では、別に帰る家があり、田舎では、周吉と別棟で生活できたのですから、幸一や滋子と比べ、かなり気持ちに余裕をもてたのではないでしょうか。


実際、東京でよりも、距離が近付いた島では、紀子の気持ちにも変化があったように見受けられますし...。


逆に、もし、周吉ととみこが、自分たちの生活に利用する以上にあまりスペースに余裕のない家に住んでいて、そこに、子ども夫婦が転がり込んできたとしたらどうだったか...。親世代と子ども世代では、生活のリズムも違うことでしょう。親たちが寝る時間は子どもたちにとってはまだまだ活動する時間だし、起きる時間、食事の内容なども違ってくることでしょう。ちょっとずつ日常のペースを崩されるというのは、特に高齢になり適応力が弱くなっている親世代にとってはキツイのではないでしょうか。


生活のパターンやリズムの違う者同士が共に生活するためには、それなりのスペースが必要なのではないかと...。


幸一夫婦も滋子夫婦も、それぞれ、それなりに頑張ってはいるのです。田舎から出てきた老いた両親をとまらせるなら、高級洋風ホテルよりは和風の旅館が良かったような気はしますし、ホテルにも和食の店は入っているのでしょうから、夕食は和食にしても良かったとは思います。その点では、配慮が足りなかったといえるのでしょう。幸一夫妻や滋子夫妻をもっと悪者にした方が、紀子の優しさが際立ち、紀子の存在に救われた周吉ととみこの嬉しさが前面に出たのだと思います。


そして、とみこはともかく、周吉を初め、結構、みなさん愚痴っぽいです。弁当持ちで塾へ行く孫が置かれている環境を危ぶみ、将来を諦めるような発言をする孫を憐み、ホテルの従業員は若い客より年配客は部屋を綺麗に使うと指摘し、周吉は二度と東京にはいかないと宣言し...。皆さん、世の中が悪くなっていることを嘆いています。でもねぇ、街を歩いていても、電車に乗っても、映画館でも、行儀の悪い高齢者が少なくないことを私たちは知っています。若者たちの方が、ずっとしっかりしている部分も少なくなく...。まぁ、本作でも、震災のボランティアをする若者たちや周吉やとみこを気に掛ける近所の女子中学生の存在はありますが...。


いずれにせよ、周吉のグチグチは、観る者の気持ちを周吉より子どもたちの側に傾かせているのではないかと...。なので、粗末に扱われて寂しい老親と冷たい子どもたちという「東京物語」の設定が、覆され、そのために物語のポイントがボケてしまっているような...。


取ってつけたような震災の扱いも気になりました。確かに、この震災ボランティアで知り合った昌次と紀子という設定はひとつのポイントなのかもしれませんが、震災関連は、そこだけに絞るべきではなかったかと...。


そして、時代設定は平成...になっているはずなのに、何故か、昭和の香りが...。セット(特に美容室のセット)とか、イマドキ、幸一が"往診する"という設定ゆえでしょうか。


まぁ、とはいえ、それなりに見応えのある作品で、2時間超の上映時間、そこそこ楽しめました。これもオリジナル作品の力の偉大さゆえなのでしょうか。


本作を捧げられた小津監督。天国でお困りなのではないでしょうか。



公式サイト

http://www.tokyo-kazoku.jp/