BOY A

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子どもの頃の犯罪により少年院に入れられ、14年間の刑期を終えて出所しようとしている24歳の青年。彼は、ジャックという新しい名前を得、新しい経歴も作ってもらい、ソーシャルワーカーのテリーからアパートと仕事を与えられます。運送会社に就職し、同年代の仲間もでき、ガールフレンドもできますが...。


人にはどうしようもないことがあります。誰も、生まれる環境や親を選ぶことはできず、与えられた能力には限界があり...。そして、自分の努力ではどうしようもないそれらのことは、人の人生を大きく左右します。もちろん、劣悪な環境にいた人の誰もが大きな罪を犯すわけではなく、好い環境にあったからといって全ての人が良く成長するわけではありません。人には、置かれた環境を乗り越える力を持つ可能性があることも確か。けれど、全てを「自己責任」で括る社会というのも、息苦しいもの。そして、それは、あまりに、人間の弱さに対する理解がなさ過ぎるというものでしょう。どこまでを「環境が原因」と考えるか、どこからを「本人の責任」と考えるか...難しい問題だと思います。


さて、見たところ、寂しい少年時代を過ごした少年Aが犯した冷酷な罪。私たちは、それを許し、彼を社会の一因として受け容れるべきなのか、彼の存在を排斥すべきなのか?


誰にも受け容れられず寂しく生きていた彼が、自分を受け容れてくれた暴力的な少年に引き摺られるように罪を犯してしまったことは仕方なかったこと...かもしれません。けれど、一方で、残虐な犯罪を憎むこと自体は当然のこと...でしょう。彼の過去を考える時、彼の存在を恐れ、避けようとしてしまうのはやむを得ないこと...なのかもしれません。


では、ジャックのような存在は、社会から排斥され滅ぼされるべきなのか?どんな人間でもチャンスを与えられれば立ち直り、それなりに社会に貢献するかもしれない...のに?そもそも、私たちの"社会"には、必要な人間と不要な人間を餞別し、不要な人間を排斥する権利などあるのでしょうか?


そこまで徹底的に人を排斥する権利を社会に与えることは、社会に大きな恐怖を巻き起こす可能性もあるでしょう。出所後のジャックの人生、それは、全てを否定されるべきものだったのでしょうか?


本作は、徹底的にジャックの視点から描かれます。観ていて、どうしても、ジャックの心情に寄り添っていきがちです。被害者遺族の側から、ジャックを取り巻く周囲から見れば、また、違った風景が見えてくることでしょうけれど、そちらの視点にはほとんど触れられていません。けれど、徹底的にジャックの側に寄り添ったことに本作の意義があるのかもしれません。


では、ジャックではなく、彼より主犯格と言うべき、ある意味、ジャックに対しても加害者となるフィリップが主人公だったら、どうだったのか?本当の意味で"悪魔"なのは、恐らく、ジャックではなく、フィリップ。フィリップが主人公に据えられていたら、また、随分と印象が違ったかもしれません。


私たち、日本人が本作を観る時、多くの人は、ある事件の少年Aを思い浮かべることでしょう。彼は、すでに、少年院を出所しています。ジャックのように、以前とは名前も変え、新しい経歴を作って、この社会の中に生活していることでしょう。


今、彼がどんな生活をしているのかは分かりません。もしかしたら、いつか、彼のことが明らかになってしまうこともあるかもしれません。その時、私たちは彼とどう向き合うことになるのでしょう。自分自身が、その場面に立ち会ったとしたら、どうするのか?その答えは簡単には出せそうにもありません。


確かに少年Aは許されない残忍なことをしました。けれど、世の中にはもっと巨悪を犯しながら、ノウノウと生きている人もいれば、むしろ、大きな力で自分の罪を隠蔽しながら周囲から一目置かれながら権力の座にいる人もあり...。


多くのことを考えさせられます。ラストはすっきりしませんでしたが、本作のテーマ自体が、簡単な納得を許しはしないのでしょう。ただ、決定的なところまでは描かれてはいなかったところに、製作者側のジャックの"未来"を期待する気持ちが込められているようにも思えました。


主演のアンドリュー・ガーフィールドはジャックの揺れる心を熱演。そして、テリー役のピーター・ミュランもジャックへの思い入れと焦燥、実の息子との関係に悩む様子を好演しています。この2人の演技が、観る者をジャックの視点に引き込み、私たちが陥りやすい"社会の視点"に偏ることを防いでいるのだと思います。


観ておくべき、そして、自分がどうすうのか考えるべき作品だと思います。



公式HP

http://www.boy-a.jp/



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