ぴりぴりする呂洞賓
1年前の記事を再掲します。
中国の仙人呂洞賓の絵に関する考察です。
作者は雪村です。
作者の雪村(せっそん、明応元年(1492年)~天正17年(1589年))は、室町時代後期・戦国時代の画僧です。水墨画が得意です。禅僧であり、各地を遍歴しました。まあ雪村自身が仙人のような感じがしますね。
絵の中に凛とした緊迫感とユーモアが共存しており、素晴らしい画家ですが、日本での評価は低く、名作が多くアメリカに渡ってしまいました。残念なことです。この天才の作品は日本の宝です。
このように正当に評価されない作家たちは大勢います。
世の中には、芸術に対してみる目のない人間の方が多いのでこれは致し方ありませんが、それでもやはり残念なことです。一方で、価値がないのにはったりだけで、時流に乗ってちやほやされる作家も多いのです。
そういうわけで天才写真家の岩谷薫氏の写真集が、しっかりと日の目を見ないとか、ちょっと考えられないことが起こるのですが、これも嫉妬をする悪い霊たちの邪魔が入っているのではないでしょうか。
とにかく、今はもう日本は完全な詐欺社会となってしまい、詐欺師だけがもうける時代となってしまいました。恐ろしいことです。
なおさら、雪村が懐かしく感じます。
中国の仙人呂洞賓(りょどうひんとも、ろどうひんともいう)を描いた雪村の絵が、ずっと気になっています。呂洞賓が瓶から龍の子を取り出したところですが、呂洞賓が乗っている龍の顔が、何とも言えずうちの愛犬のルメに似ているので、気になるのかもしれません。
この足の下にいる龍の表情はとてもいいですね。
仙人はなんだか緊張しているように見えます。
子供の龍もピリピリした感じが伝わってきます。電気が走っている感じです。
ものすごい風が吹いているのですが、この空気のピリピリした感触は何なのでしょうか。
ひげだけが電気磁石のように空に吸い寄せられているからでしょうか。
この呂洞賓の詩を、芥川龍之介(私の師匠)が、「杜子春」の中に引用しています。
鉄冠子はそこにあつた青竹を一本拾ひ上げると、口の中に呪文を唱へながら、杜子春と一しよにその竹へ、馬にでも乗るやうに跨りました。すると不思議ではありませんか。竹杖は忽ち竜のやうに、勢よく大空へ舞ひ上つて、晴れ渡つた春の夕空を峨眉山の方角へ飛んで行きました。
杜子春は胆をつぶしながら、恐る恐る下を見下しました。が、下には唯青い山々が夕明りの底に見えるばかりで、あの洛陽の都の西の門は、(とうに霞に紛れたのでせう。)どこを探しても見当りません。その内に鉄冠子は、白い鬢の毛を風に吹かせて、高らかに歌を唱ひ出しました。
朝に北海に遊び、暮には蒼梧。
袖裏の青蛇、胆気粗なり。
三たび嶽陽に入れども、人識らず。
朗吟して、飛過す洞庭湖。
漢詩はこんな感じの意味でしょう。かなり意訳です。
朝には北の海に遊び、夕には蒼梧(湖南省の東南にある山)にきている。
袖の中に入れた青蛇は、度胸のある蛇だ。
三度も岳陽に来たのだが、自分を知っているものは一人もいない。
詩を朗吟しながら、洞庭湖の上を飛びすぎてゆく。
青蛇というのは、青竹のことを言っていると思えますが、龍のことです。龍に乗っているというのでしょうか。この問題、近く論文にするつもりです。
下に、絵と、いくつかの解説を引用します
呂洞賓図(りょどうひんず)
室町時代(16世紀)紙本墨画 寸法D-119.2 W-59.6
重要文化財 奈良・大和文華館
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呂洞賓は、中国八仙人の一人。中唐時代の実在の人物だといわれる。古くから仙人として尊崇され、元の武宗から神仙の称号を贈られた。純陽子とも称するが、それは周易の乾卦にもとづく。乾卦はすべて陽の爻からなる。それで純陽子というわけである。
道教では、「回道人」とか「呂祖」とか呼ばれている。「有求必応」といわれ、願い事をすれば必ずかなえてくれると信じられていた。禅宗でも祖師の一人にされている。黄龍山の晦機禅師に参禅したからである。
その呂洞賓の図を、雪村は二点描いている。いづれも、元時代の「白描羅漢図」をもとにした。これは仙人が水瓶から龍の子を出すのをモチーフにしたものだが、それは本来仏教の羅漢が行う術だとされていた。
上の図は、そのうちの一点。龍に乗った呂洞賓が、左手に水瓶、右手にその蓋を持ち、上空に顔を向けてなにかを凝視している。その視線の先には、水瓶から出て来たばかりの龍の子が浮かんでいる。
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呂洞賓とは八仙のひとりとして人気の高い中国の仙人。唐時代に実在した人物というが、鍾離権(雲房先生)について修行し仙人になったとされている。中国では『列仙伝』などで描かれるように、瓢箪を持ち背中に剣を帯びている図像が一般的であるが、南宋時代の作とされる《呂洞賓過洞庭図団扇》のように剣を持たずに波上に立つ姿に描かれる例も無いわけではない。しかし、雪村が描く一連の作品では、龍頭に騎った呂洞賓が手にした水瓶から龍を昇らせ、天空の龍と対峙する図像となっており、伝統的な中国画には見出せない。
林進氏は、南宋の林庭珪・周季常等筆《五百羅漢図》や元時代とする伝顔輝筆《白描羅漢図》を例に、この特徴的な図像が羅漢図に由来することを指摘している。十六羅漢のうち龍を調伏する姿に描かれる尊者のなかには、たしかに、水瓶から龍を現出し、見上げる羅漢と上空の龍との対峙という構図がみられる先例が存在する。南宋の金大受筆《十六羅漢図》(東京国立博物館)の存在もこれに加えてよいだろう。
呂洞賓を描くにあたって、羅漢図から発想して龍頭に騎り水瓶から子龍を昇らせるという新奇な図像にしたこと自体、雪村の独創といえる。同系統の呂洞賓図が狩野常信の《常信模本》には数点確認できるが、雪村以前に遡る原画は見当たらない。この図像が雪村にはじまることを示すものである。こうした特殊な図像について、これまでの研究ではテキストや逸話を特定するには至っていない。上記のように、図像の典拠が羅漢に求められる以上、仙術によって龍を伏するという解釈が一般的だが、林進氏は、呂洞賓が顎州黄龍山の晦機禅師に参禅し剣を飛ばしてついに悟った場面を象徴的に描いたものと解釈している。
本展では三点の《呂洞賓図》を紹介する。大和文華館所蔵本では、自ら気を発しているかのごとく放射状にピンと伸びた髭、鋭い眼光、衣服を煽る強風、左右にうごめく波、といった破天荒な表現が見られる。こうした、まさに奇想と言うに相応しい独特の描写は羅漢図から学ぶことはあり得ず、それまでの仙人イメージを打ち破る雪村の独擅場である。
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松鷹図
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