日野智貴の雑感いろいろ

日野智貴の雑感いろいろ

龍野高校生時代に使っていたブログですが、ちょっとスピリチュアル系を主に色々とリブロク中心に再開してみようかな、という感じ。

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私は本気の人間が好きです。「本気でない」人間がこの国を悪くしたと思っています。 かつて「生活の党と山本太郎となかまたち」という政党がありました。2016年、この政党に投票したのは、約百万人。 その後、「れいわ新選組」という政党が出来ました。2019年、この政党に投票したのは、二百万人以上。 どちらも、代表は山本太郎さんです。 不思議ですねぇ。2019年にれいわ新選組に投票した人の内、百万人以上は、2016年に何をしてたんでしょうか? まさか、寝ていたとか?(笑) それとも、共産党に投票をしていた?もしや、自民党(笑)に投票していたのですか? 「あんた、三年前、何していたの?」という”俄か山本太郎ファン”が出てきましたが、彼らの中で「三年前の投票先」を胸を張っている人は、いないはずです。 ちなみに、私は2016年に「生活の党と山本太郎と仲間たち」に投票し、2019年に「れいわ新選組」に投票しました。 ま、ギリギリまで「れいわ新選組」に投票するか、それとも「国民民主党」に投票するか、かなり悩んだんだけどね。 今年中の選挙は無いようですが、来年には必ず選挙があります。 その時、また「本気でない」俄か支持者が百万人以上も出てきて、それで議員の当落が決まるようであれば、日本はおしまいです。 皆様、とにかく、選挙では「本気で」投票してください。お願いします。

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かつてある女性からメッセージが来た。曰く―― 「○○さんが日野さんのことを悪く言っていますよ!日野さんと縁を切るように勧めているのですが・・・。なんか、日野さんのことを自称政治家とか言っています。」 「は?私がいつ、政治家を自称したんだ?」 ま、世の中、平気で嘘を付ける人間はいるものである。 私は色々な人から嫌われる。正論を言いすぎるからだ、という人もいるが、それだけが理由ではないだろう。 しかし、好き嫌いの感情と言うのは、かなり弱いものである。人間は縁で動くのだ。 度々、私を振った女性と会うことがある。その女性は私の男性としての魅力については、ボロクソに言っている。(念の為に言うと、あよさんのことではない) その方から言われたことを説明すると鬱になるのでやめておくが、そんなに私を嫌っているのに、私に電話を掛けたり、私と会ってしまったりするのであるから、縁とは怖ろしいものである。 縁の無い方とは、いくら会いたいと思っても、会えない。一度喧嘩すると、そのまま。喧嘩していなくても、円満に別れても、あえなくなる。 人間は縁で動くのだ。縁は、努力では変えられない。 縁とは一生のものである。一生続かない友情と言うのは、友達では無かった、と言うこと。結婚する前に別れた恋人と言うのは、恋人にすべきでない人と付き合っていた、ということ。 どんなに尊敬していても、また、相手がこちらに社交辞令かはともかく一目置いてくれていたとしても、縁が無ければ、それは友達ではない。 友達では無い人との友情を信じるのは、愚かなことである。私のことだが。

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聖徳太子創建と伝えられる、滋賀県東近江市の石馬寺(臨済宗妙心寺派)を参拝させていただきました。 思ったよりも山の中でしたが、駅から一時間以上歩いて(寄り道含めると二時間以上)、参拝しました。 山のなかだけあって、自然に恵まれた場所です。 同名の寺院は多いですが、「石馬(イシバ)」が名前の寺は、そうありません。と言うか、1つだけです。 セキバではなくイシバなのも不思議ですね。鳥取とは関係ないようだし。 この「石馬」の由来は、聖徳太子が駿馬に乗ってここまで来て、山の松の木に馬をくくりつけると、そのお馬さんがなんと!石になってしまった!と言うことに因むのだとか。 それで聖徳太子は 「馬が石になるとは!素晴らしい!ここにお寺を建てよう!」 となり、お寺の参道の前にある池には、今でも石になった馬がいると言うことになっています。 う~ん、これ、本当に馬?あ、いや、長い間に浸蝕とか、色々されたんだよね、きっと。 このお寺には平安時代以降の文化財が沢山あり、拝観させていただきました。(撮影は禁止) 確かに素晴らしいものですし、また、役小角関連のものもありましたから、ここが元々修験道の聖地だったのは、事実でしょう。 一方、このお寺に伝わる閻魔大王の像は、小野篁作と伝わっていましたが、実際には室町時代の作だったとか。 そう言うわけで、聖徳太子云々の伝承も次の3つの可能性があります。 1.本当に聖徳太子が創建に関係していた! 2.聖徳太子と同時代の上宮法皇等が創建したのが、後付けで聖徳太子の創建になった。 3.寺の由緒を古く見せるために、聖徳太子の創建と言うことにした。(笑) 私は「1」の可能性も、充分にあると思います。 崇峻天皇の子供が出羽に逃れたと言う伝承も不思議なリアリティがありますし、聖徳太子が滋賀に来ても可笑しくはありません。 私たちが思っているほど、古代人の行動範囲は狭くないのです。無論、九州王朝説の観点から「2」も成り立ちます。 ただ、この地に後白河上皇の荘園があったと言うことから、私は「3」の可能性も考慮せざるを得ません。 と言うのも、荘園支配の正当化に、聖徳太子の時代を持ち出してくる例があるからです。時系列は全く合わないのですが、私の地元でもある事例です。 それでは「1」や「2」の可能性を証明は出来ないのか、と言うと出来ます。 実は、このお寺には聖徳太子が馬を繋いだ松の木が残っています。私も実見しました。 年輪年代測定法の活用により、この松の木が確かに聖徳太子の時代のものだと判るようになることを、期待しています。

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京都には、地主神社と言う特殊な神社がある。 縄文時代に出来たとか言う「恋占いの石」が有名である。 私は「縄文時代」に反応して来たが、いざ行ってみるとカップルの群れが。 目隠ししてこの石まで歩いてこれてさわれると、恋が叶うらしい。 なんか場違いなところに来た、と思ったら、もっと場違いな人達がいた。 日の丸鉢巻きの体育会系の男達が恋占いをしていたのである! 日の丸鉢巻きで目隠しをして「縄文時代の石」を探す姿は、素晴らしいエンターテイメントであった。 それにしても「縄文時代の石」と言うと如何にも何処かの新興宗教みたいな話だが、この神社は清水寺の鎮守社でもあった、ちゃんとした神社神道の神社である。 清水寺の拝観料を払わないと参拝できないなど、清水寺と一体化しているが、独立した宗教法人だ。 但し、神社本庁ではなく神社本教に所属している。そう言う意味でも特殊な神社である。 だが、私が一番驚いたのは、この神社に平安義会と言う団体が寄付していたことである! 平安義会・・・ウィキペディアにも載っていない、今の社会では存在感の薄い団体であるが、歴史学的にはとても重要! これは、かつて朝廷の実務を支えた「地下人」の末裔の団体である。 地下人と言うのは、朝廷の非貴族の官僚のことだ。 その、彼らが明治維新後に結成したものの、いまいち存在感の無かった平安義会。 しかし、今でもきちんと活動していたのである! 京都と言う町の歴史の深さには感動した。

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