伯母が亡くなり

法事や片付けなど

母も連日

落ち着かない日々を

送っていたようです。



 

ようやく

落ち着いた頃でしょうか。


父が我が家の

草刈りをやるから、

明日行く。

 

と急に

電話がかかってきました。

こちらとしては

草刈りまで

手が回らず

ありがたいので助かりますが

それにしても急でした。



 

翌日、

我が家に着いた両親。

久しぶりに

会った母は

ひどい顔でした。



泣いてばかりいたのか

目は腫れて

目の下にはくま。


 

明らかにエネルギーが

ない状態。


身体が小さくなったように

見えました。



 

コロナ等の影響で

名古屋での自主錬功会や

名古屋講座もいけず

きっと家でも

心を定めて

修錬ができない状態

だったのではないか

と思いました。



 

父はすぐに

自分の仕事に

とりかかりました。

 

 

もちろん、

ずっと我が家の草刈りを

気にしていたので

きたのだと

思いますが

 

なんとなく

元気のない母が心配で

我が家に連れてきたのかな

とも思いました。



 

母一人で

修錬させておこうかと

思っていましたが



これは一緒にしなくては

だめだな

と思い、

一緒にやりました。


 

修錬を始めると

すごく

頭痛がしました。


 

今回は

母の身体よりも

心の中に

悲しみや

その他もろもろの

邪気が大量に

あるようでした。

 

 

功法有無をはじめ

立ちや

すわいしょうそわか ふた

陰陽のバランスを整える

調気功などを

やっていくと

徐々に

母の顔色が

良くなり

頭痛も感じなくなりました。



 

落ち着いてくると

ようやく母と話が

できるようになりました。



 

「ずっと一緒に

育ってきた姉妹を

亡くしたのだから

悲しいのはわかるよ。

 

でも

こんなふうに

悲しんでばかりで

お母さんまで

身体が

弱ってしまったら

伯母ちゃん

もっと悲しいよ。


 

伯母ちゃんは

いつも

お母さんが

がんばっとるで

私もがんばらないかん。

と言ってたよ。

 

あの子はすごい

勉強家やし

努力家やで。

私にはできん。

って。でも

お母さんみたいに

元気になりたいで

がんばるんや。

って。

 

 

伯母ちゃんとは

話したり会ったりは

できなくなったけど

ずっとそばで

見守っていてくれるんだから

修錬しないと!」

 

というと

母にもようやく

笑顔がみえました。

 

「そうやなあ。

がんばらないかんなあ。

姉ちゃん、

辛かったと思うけど

最後まで

絶対私にも

弱音を吐かんかった。」

 

と話してくれました。




身近な人で

あればあるほど

気持ちの切り替えは

大変だと思うけれど


母には早く

前を向いて生きてほしい。

と願っています。

 

 

私も感じたように

母も伯母と過ごした

最後の日々から

何かを感じたと思います。

 

 

伯母は伯母の

役割を果たして

最後まで生きていった。

と思います。


 

死ぬのが怖い気持ち。

身体が弱っていく辛さ。

 

伯母の心の中にも

あったそれらの気持ち。

 

伯母は

それを修錬を通して

乗り越えていきました。


 

辛いだろうけど

苦しかっただろうけど

不安だらけだった

と思うけど

笑顔を忘れず

周りにいる人たちを

明るくしてくれた伯母。


 

伯母を亡くした

悲しみよりも

伯母の

どんなときも

前向きに生きる強さを

心に刻んで

 

母にも前向きに

生きてほしいと

強く願っています。