受験選抜は本来、将来活躍する有為な若者を選ぶ役割があったはずだ。

そのための試験の中身は、「学力」なるものに傾き過ぎた。

そこで、一生けんめい「勉強」し、テストに強くなり、

とにもかくにも、試験を通過しさえすればいいということになってしまった。

 

そこで中学・高校は、難関校合格のための「名門校」に入ることに

親子で血道を上げるようになった。

親の意向に忠実な子・良い子が、辛抱強く「お勉強」を続ければ、

目的は達成される確率が高い。

 

だから、難関・有名大学の学生たちは素直で行儀のよい子が多い。

首尾よくパスした後なので、ガラリと変身してはじける者も多いが、

やっぱりどこか本当の個性を感じさせる若者は少なく、

なにか規格品めいていて、コンビニに並んでいる商品のようだ。

 

そんな子たちが、有名企業に入るもんだから、

大会社はしばらくは持ちこたえるが、次第次第に劣化する。

やがて時代の大波に洗われて、消えていく会社もある。

前例をうまく踏襲するだけの社員が多くなっているから、当然と言えば当然だ。

 

今、衰退している国、日本・韓国・中国に共通していることがある。

経済の低迷、少子高齢化だ。

でも、その原因・もとを探れば、3国とも科挙のような激しい受験戦争がある。

この競争に勝ち抜く者は個性や才能をなくし、多数の敗者はやる気をなくす。

 

王侯貴族等の身分制度がない現代社会では、学歴で人に差をつける。

新聞には、死亡欄にさえ学歴が載る。

東大卒・ハーバード大卒というのは、勲章だ。ブランドだ。

その他の大学出身者は、コンプレックスを持つだけの人生だ。

 

もう過去の遺物のような大学なんて、自由に出入りできるようにすればいい。

受講するのに高度な専門知識が必要なら、それだけの試験をすればいい。

公平・公正でやることはない。弟子入りのように勝手に選べばいい。

金がかかるのだったら、金がある者だけが行けばいい。

 

インターネットの時代になって、

ほとんどの学識は、やる気さえあれば自分でいつでもゲットできるようになった。

急にAIの時代が到来して、

専門的な知識や技能が要る仕事まで、人間がやる必要がなくなってきている。

 

少なくなっている子ども達には、

無意味な受験競争や学校から解放し、自由に学ばせ活動させなければ。

子ども達を元気にさせるには、それしかない。

日本に活力を取り戻すには、それしかない。