風のように…
















さて、この写真何だか判りますか?





右側の茶色のほうは、普通の卵です。


黒っぽい方は、南部鉄の卵!



たしか、商品名は、「ザ・鉄玉子」とかいう名前だったと思います。
だった…と言うのは、買ったのがかなり昔の話しになってしまったものですから。



我が家は、子供が小さかった頃から、のどが渇いた時には、冷蔵庫の中に有る麦茶がその渇きをいやす常用水分?でした。



麦茶も、昔ながらのやかんで煮出すタイプのヤツを、今でも用いています。



風のように…


そこで、毎日の麦茶を鉄瓶で煮出せば、子供たちの鉄補給になるなぁ…と思ったのですが、鉄瓶なんかもう今の家には無いんですねぇ。




そりゃぁ 古い家ならば、蔵の中(蔵が有るような家で無ければ…ですが)にでも、その張りにぶら下がっていると思うのですが。



そんな時、岩手の高速のサービスエリアの売店で見つけた

のが、件の「ザ・鉄玉子」





これを普通のステンレスのやかんに入れて、麦茶を入れてお湯を沸かし、粗熱を取った後、ポットに入れて冷蔵庫に年中常備していたものでした。



今じゃ、子供たちもそれぞれ巣立って飲む人も少なくなったのですが、その間、この鉄の卵は、元々普通の鶏卵ぐらいのサイズだったはずが、今じゃスリムになってしまいました(笑)



鉄器の鉄瓶や鉄鍋、鉄玉子などから溶出する鉄分は、体にとても吸収されやすい2価鉄(2価の鉄イオン)という形で溶出するため、微量でも吸収率がよく鉄分補給に効果があると言われるそうです。



現に鉄鍋や鉄包丁を、今よりも用いていたころには、貧血になる人が今よりずっと少なかったとも言われているのです。

勿論、その頃と、今では、食生活も変わってはいますけれど…



鉄分が不足すると、貧血になります。貧血、血が薄くなると困るのは、血液の役目のひとつに体内に酸素を運搬するというものがあるからです。



血液の中の赤血球には、ヘモグロビンという物質のものがありますが、これは鉄を含むタンパク質ですが、これが肺で酸素と結合して、酸化鉄となり血管を通って体内の細胞の隅々まで酸素を運んでいきます。



鉄は酸化すると赤くなります。さびが赤いですよね。実は血液が赤いのは、この鉄のため…




生物の中には鉄の代りに銅を媒介するものがいます。ヘモグロビンではなく、ヘモシアニンという物質を持つものたちです。銅は酸化すると青くなります。この生物群が血液は青く見えます。甲殻類や軟体動物タコやイカ等がこの生物群なのですが、タコやイカをさばいても青くないですよね。普通は…


これは、ヘモシアニンは酸素を運び終え、酸素と分離したら無色になるからです。




そんなわけで、成長期の子供鉄補給を担ってきた、この小さくなった「ザ・鉄玉子」ですが、最近は出番が減りました。



と、言うのも、老齢世帯になった我が家の夏場の水分補給は、この頃もっぱら、「ほうじ茶」となったからです。



山形、特にこの辺りは、お葬式の香典返しは、緑茶が一般的なのですよね。とこが、この香典返しの緑茶、何度も何度も、詰め替えされているので、お茶と言うより粉茶に近い状態が普通なんです。


お茶として飲むのがシンドイほどに(笑)



それで、我が家ではゴロゴロとある、この粉茶のような香典返しのお茶をフライパンで、ほうじ茶にして、冷たいほうじ茶を冷蔵庫に常備しているこの頃です。



のどの渇きを癒すのも、お茶を飲んだ時の充足感も、ほうじ茶の方が上の気がするのは、歳のせいなんでしょうねぇ(^_^;)


さて、フライパンで粉茶をほうじ茶にする話は、またの機会に…

 産土神(うぶすながみ)氏神(うじがみ)は、その者が産まれた土地の神で同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神と言われている。



 この長井の土地にとって、氏神は、きっと、黒獅子の起源である、三渕にいると言われ「龍神」様で有るに違い無いのではないかなぁ…



 獅子の笛や太鼓は、この土地に住む者とって、祭りの練習の太鼓の音を聞いただけで心がはやるところをみると、その大きさは故郷そのものなのではないかと思います。



 長井市を縦断して最上川にそそぐ清流「野川」、その上流に三渕という峡谷があります。


 その野川本流と布谷沢が合流するここは、古から里人たちの厚い信仰を集め、多くの神秘と伝説を伝える長井の聖地

 


 この三渕におわす龍神様には、悲しい「卯の花姫伝説」が有ります。



 それは、11世紀、東北地方の奥羽完全支配の命を受け侵入した朝廷軍と、それに抗する奥羽の戦い。



 朝廷軍を率いるのは源頼義、義家親子、奥羽の統領は安倍頼良(頼時)、貞任親子


 この話しは、平安末期のエミシ征伐と呼ばれていて、エミシとは、蝦夷(えみし、えびす、えぞ)と書き、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見ての、日本列島の東方(現在の関東地方~東北地方の一部)や北方(現在の北海道地方)に住む人々を異端視・異族視した呼称で、今のNHKの大河ドラマ『八重の桜』の時代にも、東北は「白河以北一山百文」とは言われていましたけれど、そのはるか昔から、東北は、蔑視異端視されいたのですねぇ。



 この安倍貞任に卯の花姫という美しい娘がいました。



 安倍貞任は長井を要害の地と認め、娘である卯の花姫を遣わし治めさせていたと言われています。

 卯の花姫は野を駆ける鹿のように美しく、気丈な方で、兵馬の訓練も怠りなかったと言われてもいます。


 大軍勢を率いて奥羽に攻め入りながら、苦戦を続ける敵将源頼義は、この卯の花姫に目をつけ、息子義家を近づける。卯の花姫を誘惑して安倍一族の内部崩壊を図ったのである…



 源義家はこう言って卯の花姫に取り入った。



 「確かに私は奥羽に兵を進め安倍氏と戦っているが、これは私の本心ではない。帝の命に背けなかったからだ。無益な戦はしたくない。貞任殿が兵を納め共に京に上ってくださるのなら、帝の信任厚い私から貞任殿と奥羽が安泰であるよう奏上つかまつるものを…。その方が血で血を洗う戦を続けるより得策だと思うのだが、何かよい方策がないものだろうか」



 戦いを一刻も早く終わらせたいという思いは、卯の花姫とて同じだった。



 純朴なエミシの娘は、洗練されたみやこ人の甘言にひとたまりもなく乗せられてしまう。



 義家を好ましい男と思った卯の花姫は、甘美な和歌をおりまぜた美しい文字の恋文等の姦計にすっかり魅せられてしまい、二度三度の密やかな会う瀬のなかで貞任軍の軍略などを、問われるままに語ってしたと言う…



 それを聞き取るや否や義家は、してやったりと衣川に攻め入り、衣川の柵を突破する。



 安倍軍は最北の厨川柵で決戦を挑むが、抗戦虚しく、統領安倍貞任は討ち死にする。
 



 そして源頼義の軍勢は、ついに長井に攻め入ってきた。



 卯の花姫は館を捨て、一族郎党を引き連れ、朝日岩上の僧兵を頼って野川口から祝瓶山に向かった
 しかし、追っ手が押し寄せてきたことを知らされて卯の花姫は、父の死は義家の甘言にだまされた自分の愚かさによるものとたいへん悲しみ、そして「もうこれまで」とあきらめ、綾の衣を脱いで頭にかぶり三渕の絶壁から野川に飛び込んで自死を遂げ大蛇に化身したというのである。



 それからしばらく後、朝日岳、祝瓶山の天壇で修業している修験者が御影森山の小峯を登っていくと、紫の雲にのった美女が悠然と現れ、「この山は四神相応の勝地である。私が珍宝をこの地に納めてやろう。その方たちは早く道場を建てるがよい」と告げ、姿を消した。


 ふと下を見ると、三渕の波紋が大きく広がっていたという。



 長井には、この三渕の神様を祀る神社が二つあり、一つは寺泉の五所神社、そしてもう一つは宮の総宮神社といわれている。


 そして、この龍神様をもしたのが、長井の獅子舞



 この獅子舞、獅子頭は蛇頭といい、目玉が丸く飛び出、眉が後方に下がり、蛇の頭のように前後に面長になっている。


 そして、それに大幕がつけられ、その中に多人数の舞い手が入る。
 

 その幕には波としぶきがあしらわれ、頭は蛇が鎌首をもたげたように一定の高さを保って上下せず、蛇行しながら滑るように舞う。
 

 先の三渕の神様を祀る神社の総宮神社の伝承によれば、この獅子の舞い方は、蛇体である三渕の神様が野川伝いに里宮まで渡御される時の、水面を進む姿を写したものだといわれている。



 これが、長井の産土神(うぶすながみ)氏神(うじがみ)であろう、黒獅子の起源と言われている話である。



 ところが、これと同様の伝説が、安倍一族が統治した奥六郡(岩手県)の各地にもあるのだそうです。



 胆沢郡金ヶ崎町、ここでは白糸姫の伝説として語られ、また和賀郡東和町にくると、それが真砂姫の伝説になという。



 猿ヶ石川の岸にある矢はぎ山では、貞任の妻が物語の対象となっていて、そのいずれも貞任の娘や妻が、源義家の巧みな言葉に騙され、貞任の戦法の秘密を洩らしたり(白糸姫、貞任の妻)、貞任に和睦を進言したりし(真砂姫)、それがもとで貞任が敗れるという設定になっているという。


 いずれも、勝ったものの伝承ではなく、はかなく散ったものの土地に伝わる悲しい話しであるには、違い無いようですが。



 前置きが長くなったけれど、その三渕が、2011年にできた長井ダムによって沈んだ。


 高さ125.5メートルのダムには、長井の聖地の三渕だけでなく、ダムそのものが1つ沈んでいるのである。


 125.5メートルの高さとは、オフィスビルなどは階高4mくらいと言われていますから、30階建の高さを超えるのですねぇ。


 そのダム湖(百秋湖)に、新潟県阿賀町の阿賀野川ライン舟下りで使用されている全天候型屋形船をトラックで運び、「三淵(みふち)渓谷」そばで折り返す約10キロを、約1時間のコースの遊覧船が走った。



風のように…


 6月15~17日の僅か3日間では有るが、ダム湖の水面間際から見れる新緑の山々は、素敵であり、誰でも知る長井の聖地の三渕に近づける唯一の機会ではありました。


 ダムによって失うものも、きっと多く有ります。でも原子力に比べれば、苦難は多そう?ですけれど、まだ元には戻せそうな気がしますね。


風のように…


 何かを失ってまでも、何かを得なくてはいけないのだとすれば、ひょっとしてこんなやり方も、一つとしては、この国には有っているのかもしれませんね。


 この透明度5m余りを誇るダム湖の、山々の奥地が、実は核廃棄物の埋設候補地の一つにも、密かに

選定されていた…と言う事実もありました。


 きっとそんな事をしたら、氏神さまは、カンカンに怒ってしまったでしょうねぇ…






風のように…

  白鳥の渡りのルートって、川を使うのでしょうかね?




  確かに、渡りの途中で、今宵のねぐらを定めるとすれば、川の中州は、外敵に備えるには、好都合でしょうし。



  沿岸部から、内陸へ分け入るには、川筋は大変地形的には便利なのかもしれませんね。


 


  に、しても、今宵は遅くまで白鳥の鳴き声が窓の外に響きます。




  我が家は、山形の母なる川の最上川のそばにあるのですが、こんなに夜遅くまで飛んでいく白鳥の鳴き声を聞く事も珍しい?



  低気圧が日本海を発達しながら、今夜から明日にかけて駆け抜けて行くのと、何か関係が有るのかな?


  日本海へ抜けようとする白鳥にとっては、低気圧が抜けるまでに吹きこむ南寄りの風は、またとない強い追い風


  でも、低気圧が北へ抜けてしまえば、また、北西からの向かい風…


  それまでに、ちょっでも、北への距離を伸ばすための北帰行?



  そんな事もあるのでしょうか?




  季節の節目の、春の嵐なのかもしれません?



風のように…