ゼ・アリゴー Zé Arigó, 1918- 1971

 

 

 ゼ・アリゴー(葡: Zé Arigó 1918 - 1971年)は、ジョアンさんと同じようにフルトランスで心霊手術を行うブラジルのミディアムです。心霊治療の分野において最も有名な人物ともいわれます。

 

 ブラジルのミナスジェライス州コンゴーニャス出身のカトリック教徒で、本名をホセ・ペドロ・デ・フレイタス(葡: José Pedro de Freitas)と言います。「ゼ・アリゴー(ホセ・アリゴー)」とはあだ名ですが、少年時代からほとんどこの愛称で呼ばれていました。

 

 アリゴーは農家の生まれで学校にもろくに通っていないといいます。まして、医学的な教育など全く受けていないにもかかわらず、1955年から1971年にかけて、コンゴーニャスに診療所を構え、毎日数百人の患者たちを相手に、心霊手術とされる医療行為を行いました。

 

 

 アリゴーは少年時代から幻覚や幻聴に悩まされ、結婚した頃から毎晩のように見知らぬ医師たちが手術をする夢を見続けました。ある時(1955年)そのうちの1人が、第一次世界大戦で死亡したドイツ人医師のアドルフ・フリッツ(Adolf Fritz)と名乗ったのです。彼は生前医学上でやり残した仕事があり、その代行をアリゴーに依頼したいのだそうです。ですので、医療行為中のアリゴーはフリッツ博士の霊が乗り移っている、またはフリッツ博士や医師たちの霊に指導されていた、と言われています。

 

 

 超自然関連のアメリカの作家であるジョン・G・フラーの著書『Surgeon of the Rusty Knife』(日本語題『錆びたナイフの奇蹟 心霊外科医アリゴー』)などによると、アリゴーの医療に使う道具といえば、果物用か軍用のナイフ、包丁、剃刀、はさみといった粗末なもので、しかも麻酔や消毒なしに外科手術を行なうという驚くべきものでした。しかしアリゴーはこうした手術で患者の体から実際に病巣を取り除いており、その間、患者は苦痛も出血も皆無だったのだそうです。

 

 アリゴーの行為は「奇跡の治療」と呼ばれ、治療を求める人々が大勢ブラジル全土から訪れました。第22代ブラジル連邦共和国大統領であるジュセリーノ・クビチェック(1956年1月31日に大統領に就任し、外資導入と工業化を推進し、内陸部の発展促進のため新首都ブラジリアを建設した大統領)も、娘がアリゴーの治療により完治したと証言しています。

 

 アリゴーの元に訪れた患者たちの中には、白内障や悪性腫瘍といった難病に苦しむ者や、当時の医療で見放された患者たちも大勢いました。彼らはアリゴーの手により治癒、または好転したと伝えられます。両脚の負傷で車椅子生活を強いられている者に「歩け」といっただけで、その者が歩けるようになったという証言もあります。

 

 アリゴーにより視力を回復した、悪性腫瘍が取り除かれたなどと公言する元患者の数は当時数百人にものぼりました。アメリカのニュース雑誌『タイム』の1972年10月16日号の記事によると、アリゴーについて「現在知られているほとんどの病気を治療し、その患者の大半は、命を救われたばかりか、病状が実際に改善されるか治癒しているのだ」と書かれているそうです。

 

 一方でアリゴーは、彼らから治療費をとることは一切なかったといわれています。善意の患者たちが彼に治療費を送ったこともあり、その総額は84万ドルにものぼったそうですが、アリゴーはその全額を送り返したのだそうです。

 

 1957年にはブラジル医師会により医師免許を持たず治療を行ったと告発され、実刑判決を受けました。一度はクビチェック大統領の特赦により刑が免除されたものの、大統領辞任後の1964年に刑が執行され、刑務所へ収容されました。それに対し、彼の患者をはじめとする貧民層からは、医師会への抗議が殺到しました。「アリゴーが無罪放免にならなければ自殺する」との手紙を送りつけた女性もいたそうです。

 

 そうしたアリゴーを擁護しようとする人々数百人がアリゴーの救出のために刑務所襲撃を企てたのですが、当の本人アリゴーに諌(いさ)められるという一幕もあったそうです。しかし実際にはアリゴーは刑務所内で他の囚人たちの暴動を鎮めたり、所内の環境改善に努めるなどの活躍により所員たちから感謝を受け、治療行為のために自由な外出まで許可されていたほどでした。これらはどれほどアリゴーが愛され、人々に必要とされていたかを物語るエピソードです。翌1965年、釈放されました。

 

 1971年1月11日、交通事故で死去。その約2週間前の1970年末にはまるでそのことを予知していたかのように、周囲に「間もなく自分は死ぬ」「地上での使命が終わる」「もうお前とは会えなくなる」などと漏らしていたと伝えられています。

 

 アリゴーの死は、ブラジル中の新聞でトップニュースとして報じられました。コンゴーニャスの人々はアリゴーの死を知り「この村は父親を失った」「この村は終わりだ」などと嘆いたといわれています。現地では2日間の服喪が宣言され、弔意を示すための半旗が掲げられ、葬儀の間は店やバーが閉店になりました。ブラジル中から集った弔問客は1万人以上とも2万人以上ともいわれており、その中には、息子の眼病をアリゴーに治療してもらったといわれるブラジルの国民的歌手ロベルト・カルロスの姿もあったそうです。

 

 アリゴーの心霊手術の様子を見た多くの医師やジャーナリスト達は疑いの声を挟む余地がなかったといわれています。また、アリゴーの心霊治療についてはきちんとした治療記録が証拠として残っており、科学的にも信憑性の高いものであったということが確認されています。

 

 現在、アリゴーはカーサのエンチダージの一員として巡礼者たちを助けています。彼の写真はカーサのカレントルーム出口付近に飾ってあります。