聖マグダラのマリア (Maria Magdalena)

 

 

 マグダラのマリアは紀元後1世紀に実在したといわれる女性で、聖書に登場しイエス・キリストに従った聖人の一人です。カトリック教会では記念日は7月22日とされ、改悛した娼婦、罪を悔いる人、身体に障害のある子供、葡萄酒醸造業者、造園業者、織物業者、美容師を守護します。

 

 しかし、聖書や福音書の中には確かな情報がほとんどありません。したがって、彼女についての情報は推測や憶測によってこれまでの歴史の中で何度も書き換えられています。

 

 諸説ありますが、「マグダラ」(Magdala)とはパレスチナ北部にある町の名前で、そこが彼女の生誕の地であると言われています。

 

 「マグダラのマリア」は、多くのキリスト教美術のテーマとなって描かれてきましたが、罪を悔やみ改悛する姿や、肌の露出の多い姿で描かれることが多いです。彼女は「もともと娼婦であり罪深い女性だったけど、イエスに会って改悛してその後イエスに従い、後に聖女となった人物である」…などと解釈されてきたためですが、1969年にバチカン公会議を受けて公式にそれは誤りであったと宣言されています。

 

 外典である『マリアによる福音書』(近年エジプトで発見。西暦2世紀末にまとめられたものと推定)などによると、新約聖書におさめられた四つの福音書とは全く違うイメージのマグダラのマリアの姿が浮かび上がってきます。それらによると、マグダラのマリアは神託を告げる預言者としての能力を持ち、弟子(使徒)たちと対等な立場でありました。このため彼女は初期キリスト教父たちからむしろ十二使徒よりもはるかにイエスに近く、その奥義を授かった女性ともいわれていました。

 

 映画「 ダ・ヴィンチ・コード」で有名になりましたが、彼女をイエスの「妻」であることを彷彿とさせるような表現もこれら外典の中に見受けられるのです。イエスがしばしば彼女とキスを交わしたことさえ書かれている福音書も見つかっています。そのことにペトロをはじめとする十二使徒が不快感を感じたり、嫉妬を抱いていたという記述も見られるそうです。

 

 

 新約聖書の福音書の中で、マグダラのマリアはまず最初にこのようなエピソードで紹介されます。(※ただしこの女性が本当にマグダラのマリアのことを言っているのかどうかは定かではありません。)

 

 人々がある女性を連れて来て、イエスに言います。「この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。」 するとイエスはそれに答えて、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい。」

 

 またマタイによる福音書の中で、マグダラのマリアはイエス・キリストの磔刑を見届け、またその3日後に彼の復活を目撃した、とされています。そして他の弟子(使徒)たちにイエスの復活を知らせたことから「使徒たちへの使徒」(the Apostle to the Apostles) とも呼ばれます。

 

 マグダラのマリアはイエスの昇天後に各地で布教生活に励み、イエスの教えを説いて回りましたが、その晩年についてもまた諸説あります。

 

 一説によると、マグダラのマリアは晩年にイエスの母マリア、使徒ヨハネとともにエフェソ(トルコ西部の小アジアの古代都市)に暮らしてそこで没し、後にコンスタンティノポリス(現イスタンブール)に移葬されたといわれています。

 

 しかし別の説では、フランス南部で隠者として生活し没したとともいわれています。その説によるとマグダラのマリアは姉マルタ、弟ラザロらとともにフランス南部のマルセイユの近くサント=マリー=ド=ラ=メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)という街に流れ着いたのだそうです。その街の名前の意味は「海から来た聖マリア達」。マグダラのマリアはその近くのサント=ボームという洞窟で人生最後の30年ほどを隠者として生活し息を引き取ったとされています。

 

 

 その地に墓が作られたと言われてもいますが、遺骸とされる聖遺物はいくつかの教会に分散されて祭られており現在はお墓と呼べるものはありません。マリアの頭蓋骨とされるものは、サント=ボーム山塊の麓にあるサン・マキシマム教会に安置されており、ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂には、遺骨の一部が祀られているそうです。

 

 近年の研究では、「マグダラのマリア」は初期キリスト教会に大きな影響力を有していたそうです。「最初の女性法王だった」という説まであります。他の弟子たちはイエスの処刑を「神の国を呼ぶことに失敗した」と捉え、目を背けました。イエスはローマの圧政を実際に滅ぼしてくれると期待してしまっていたのです。

 

 しかしマリアは違いました。マリアは、具体的な奇跡ではなく「内面的な変革を経てこそ心の中に神の国は現れる」と理解していたただ一人の弟子だったのです。

 

 イエスの帰天の後、他のイエスの使徒たちはマグダラのマリアに猛反発し、「マグダラのマリア降し」を始めました。そして後々まで「彼女は売春婦だった」という説を定着させてしまいました。イエスの後継争いとして信者たちは「マグダラのマリア派」と「ペテロ(イエスの使徒の一人)派」に分かれたけれども、結局ペテロ派が勝利したということです。

 

 最終的にはペテロを継承するキリスト教会がローマに定着し、ローマカトリックの歴史が始まりました。歴代のキリスト教最高指導者(ローマ教皇)はペテロの後継者なのです。それ以降、教会は男性主導の組織となり、女性は聖職者への道も閉ざされていきました。

 

しかしながら、外典の発見と近年の女性の社会的な役割の変化に応じ、教会側にも「マグダラのマリア」を再評価する動きがようやく出てきたというわけです。バチカン法王庁は2016年6月10日、マグダラのマリアを典礼上、他の使徒たちと同列にすることを決め、彼女の祝日もようやく教会の祝祭へと格上げされたのです。