ただただ鬱 | 雛壇

雛壇

大卒の社畜があれこれ書いてみる
現在フリーター。男性ながら事務のバイトしてます。ポンコツだけど体力仕事も単純作業もやる便利屋ポジション。
鬱病、ADHD診断済み。精神科通院中の絶賛希死まっしぐら。

 

ホントに幼少期のころ、よく思い出せないが活発な子供だったらしい。確かに外で遊ぶのが好きだったと思う。今でも運動は割と好きだ。落ち着きがなかったりもしたはずだ。いつも注意されてたからこれは昔からのはずだ。

 

 

小学生の時。楽しかったんだと思う。ただ宿題はやらなかった。勉強が嫌いだったというよりは遊ぶ方が優先だった気がする。夏休みの宿題は最終日か学校始まってからやるタイプ。この先ずっとこんな感じだ。

 

中学校ではいじめに遭った。ルールに厳格で口うるさかった記憶はある。さらに身なりが雑だった。衛生観念も欠けてたから風呂もテキトー、ありていに言えば汚い。まあ自分が悪い面は多々ある。暴力を振るわれたり、罵詈雑言浴びるまでの理由になるのかどうかはわからない。ADHDの傾向もASDの傾向も振り返ればかなりある。こだわりが強すぎて協調に欠ける。衝動任せ。ルール違反に協調するのもどうかとは思うが。これが中学一年の時で無事に登校拒否するようになり勉学の方面は完全に脱落した。勉強に集中できてなかったような気もするし教員の指導も正直悪い印象しかなかったから時間の問題だったが。

 

中学2年になる前に引っ越した。学年と同時に学校が変わった。すっかり対人恐怖に陥り人混みを見ただけで泣き出す始末だった。クラス分けすら一人では確認できなかった。引っ込み思案になったし会話もままならなかった。結果的に普通に友人ができ、彼女もできたり、オタクに片足突っ込んだりしながら中学校は卒業できたが、基礎学力はどうにもならず、どうにか国語は平均程度、社会は平均やや下、その他の科目は壊滅、という状態でとても普通の人生が歩めるものではなかった。転校してもチンピラまがいには目をつけられ、それが不快でバスケ部を辞めた。親切にしてくれた人のほうが多かったがチンピラに絡まれ続けるのは前年にいじめで一クラスまるまる敵になった自分には耐えがたい不快だったし、技術的にも転校してからぽっと始めたバスケは不器用さも相まっていまいちだった。当時はチームプレイのなんたるかもよくわからなかったし、フェイントをかけたりするようなプレーもうまくできなかったので続けていても上手くなったとは正直思わない。

受験勉強なるものもしてみたが中学一年次の基礎を修めるころに登校拒否で勉強もろくにしていなかった自分がまともにやれるわけもなく、選択肢の中の偏差値が下から二番目くらいの農業高校に進学した。

当然学生の質は酷いものだったが、普通科目だけでなく専門科目もあったため勉強自体はそこそこ楽しんでやれた。普通科目も中学レベルだったので赤点を取りつつもなんとか誤魔化せる程度について行けた。成績はクラスで3番目から6番目という程度、学年全体だと微妙だが素行だけで成績を維持していた面があるので上出来といえば上出来かもしれない。真面目だと評される以外の取り柄が無いのだから。中学からの歴史小説好きが高じて国語の成績だけは優等生に張り合われる程度に高かったが、数学英語は壊滅、科学もほぼ死亡、日本史世界史はぎりぎり平均、音楽は壊滅よりは少しマシ、選択制だった美術や地理は当然避けた。国語の成績の突出で順位を上げていたようなもの。周りの少なくない人数はこれより酷かったのだから自慢にもならないが。

気の合う友人数人と気ままに遊んでいたのが高校時代だが、最初に入った部活のバドミントン部は例のごとく対人関係のトラブルで辞め、書道部でなあなあにやっていただけというのが実情。バド部の先輩は他人の好きなものを小馬鹿にして喜んでるマジモンのクズだったのでかなり失礼な辞め方して揉めたし謝罪までさせられたが辞めたのは全く後悔していない。使っていた道具は部室に置いてあったのだが当たり前のように盗まれた。この頃かなり人嫌いになっていたので高校三年間はかなり攻撃的なまま過ごした。チンピラまがいも掃いて捨てるほどいたのでいつ不快な目に遭ってもいいように全身いたるところに刃物を仕込んでいつでも殺せるようにして過ごしていた。机にいたずらされていたのを見つけたときは思い切り蹴とばしてクラスメイトを睨みつけたりもした。その後いたずらはされなかった。学年中に危ない奴だと噂されていたらしいが願ったり叶ったりだった。

中学からの友人だった人間に裏切られていじめの標的にされかかったが当人が性格にも日頃の行いにも問題ありだったのでここぞとばかりに中学時代からの悪評を口の軽い連中にばら撒き初手でやり返し孤立させた。謝罪されたがその後に更に余計な事しでかしたので完全に無視するようになり、付き合ってた彼女が間に入って仲直りさせようとしてきたのも完全に拒否し、同じ場にいてもいないものとして扱うようになった。こうなっては他人に対して何かするのも馬鹿らしくなり大学でも似たようなトラブルになりかけたのを切っ掛けに他人に関心を抱かなくなった。

 

大学入学時にはさすがに高校で性格きつ過ぎたのを反省しなるべく愛想よく振舞うようにした。現在残っている交友関係はほぼ大学時代の先輩、友人、後輩だったりする。対人関係の揉め事は巻き込まれることはあったが自分が原因の片割れになることはほぼ無かったはずだ。基本的に無意識にお節介焼いてしまったりするタチなのと、愛想よく振舞うように心がけていたのが功を奏したというべきかもしれない。前述通り他人への関心が減ったので相手の事情に深入りし過ぎることも少なくなった。相手の欠点を指摘して逆恨みを買うことも減った。相手のためにはならないだろうが、20過ぎた人間に欠点を指摘して忠告したところで直るものでもないだろう。そう思う程度にはやはり人間不信だ。

弓道部に入部して弓道を始めたが、これが4年の卒業間際までやりこむくらいドはまりした。対人関係のトラブルがほぼ無かったのも大きい。いつも部活を辞める原因が対人関係のトラブルだったからだ。一応団体戦の形式もあるが、球技をやってる時のようなチームプレーを求められるわけでもなく、トリックやフェイントなどの器用さをそこまで必要としないため、歴だけ見たら倍以上弓道をやっている後輩に競う相手と見なしてもらえる程度には上達した。主将もやったが、選出方法が消去法であったのと、すっかり受動型になり自分で方向性を考えることもできずそもそも段取りなど組む能力が欠如している、正解が無いとどうしていいかわからないといった欠陥がある自分には荷が重かったので友人に大半を肩代わりしてもらうことになってしまった。統率者や管理者としては本当に三流以下である。この段階で管理職などが務まるわけが無いのは目に見えていた。中学高校とマイナス思考で抑うつ気味だったのが主将をやっていたときは極度に悪化し、自殺か死ぬことばかり考えるようになった。

ここまで挫折続きで自信など持てるはずもなく、中学時代にレールから脱落していたのも相まって就職活動などうまくいくはずもなく、卒論も雑なものを間に合わせ、就職は誰でも取ってるような警備会社を卒業間際に内定が出るという始末。いつの間にやら人前で発表や面談などでうまく喋れなくなっており、面接練習ですらどうにもならない。赤っ恥の連続で本番などうまくいくわけがない。さらに悪いことに自信も才能もないので目標もやりたいこともなく、その場のノリで企業に応募する羽目になった。卒論もテーマが決まらずゼミ担にもらったようなもの、それも出来の悪いことこの上なく、ぎりぎりにでっち上げて発表時には穴だらけでまともに発表も質問に答えることもできずじまい。後々社交不安障害という病名を知ったが十中八九該当するだろうと確信がある。

 

警備会社では現場で警備をやっている分には少々段取りが悪く融通が利かない程度で済んだが、警備員の手配をするようになると先延ばし癖や物覚えの悪さ、情報整理のできなさが見事に足を引っ張り、自分で判断できない、記憶が正しいかわからない、方向性を決められない、正解がわからないなどが重なって散々だった。夜勤を一人でやるようになってから情報量が減り、判断やルーチンワークもある程度こなせるようになったが、昼勤は手一杯でまるでダメである。さらに警備員の質が悪く、まともに仕事ができる人間が在籍者の3割前後かと見立てなくてはいけないくらい老害と無能団塊と馬鹿ガキの集まりだった。誰でも彼でも採用しているような会社だったので当然といえば当然のことで、有能な人間が3割もいるのが奇跡だろう。給料も下から数えた方が早い会社だったので優秀な人が居残ってるのが不思議なくらいである。自分の給料が安い分にはそこまで構わなかったが、介護かと思うようなレベルの業務と警備員、夜勤も残業も金にならない、全く評価されないどころかミスがあったときだけ盛大にやり玉に挙げられる、予備人員の確保や案件の数に注意を促したら無駄だの詐欺だの言われる、手配担当してるチームのリーダーやらされてた人が過労とストレスが遠因(と大体の人はわかる状態)で亡くなる、一人欠けて新人が入ったばかりのところから1年たったばかりの若手が他拠点に引き抜かれる、など様々あって割に合わないと思い辞めることを決めた。3年と少し務めたが給料が一銭も上がっていないのも驚愕である。辞める4ヶ月前くらい、リーダーが亡くなった頃から鬱病の症状が出始め、一ヶ月で仕事以外のことがほとんどできなくなり、だんだん仕事もまともにできなくなった。出勤はするが仕事がまるで手につかず虚脱状態で長時間過ごすことが多くなり心療内科で薬をもらいながら務めることになった。都内に住む古い友人の警告と誘いに乗り、4ヶ月後には退職。退職の話をするのはこの時点で二度目だったのと、大手勤めの友人のコネで転職すると上司にハッタリをかまし退職後友人宅に引っ越し居候。3ヶ月弱のニート生活と金銭感覚が違い過ぎる友人と飲食や遊びをともにした結果貯金が無くなり、自信喪失と社交不安の面接下手、つぶしの利く資格なども持ち合わせていないこともあって転職活動は失敗し、アルバイトで食いつなぐことに。現在の職場はなぜか即日採用となり、事務仕事に男性バイトが初めて入ってきたという物珍しがられる状況に。しかし事務仕事やれればこの先職探ししようもあるかと思っていたのが間違いで、向き不向きなら間違いなく向いていない部類だった。ミス連発に加えて慣れないうちに繁忙期に入り、前職が原因の電話嫌いや捌ききれない業務量、物忘れ、などなどで大変なことになり収まり気味だった鬱が悪化し自殺手前、一人で泣き出し何もできないレベルに。発達障害という単語を目にしたのがこの頃、今から約半年前だった。気になったのと精神科行って来いという高校時代からの友人の勧めで精神科受診。鬱と不安障害の様子を見つつ数度通院した辺りでADHDと診断された。ASD傾向も含む。併発というよりはどちらかに極端な方が珍しいらしい。コンサータ飲んだのと業務内容が変更になり負担が軽くなったのでかなり楽になった。この段階で正社員など務まらないときっぱり諦めフリーターで生きていくことを決めた。さらに奨学金が返済終わっていない状態で奨学金借りた額を超える借金が積み上がり返済が完全に振り出しに戻る。貯金ゼロである。金持ちと同居することを甘く見ていた自分が悪い。先の見通しが甘いのも昔からである。発達障害の人の特徴でもあるらしいが原因かどうかは不明。また同居の友人は完全に自分基準でしか話さないことが一年間でよくわかってきたのでいよいよストレスが増し、鬱が悪化しつつある。余裕がない。相手の立場になって考えるということができない人種であるらしい。金が無いと言ってる自分に対し当たり前のように家賃高い物件や飲食店を紹介してきたり、金が無くてできないことを「やればいいじゃん」と軽く言われたり、鬱病なのを分かった上で気分転換と飲みに連れ出されたり、鬱かつ知識も全くない状態で起業するから就業規則を作ってほしいなどとプレッシャーでしかないことを当たり前のように言ってくるなど。鬱の時にしてほしくないことは一通りされた気がする。悪意が無い様子なので怒るに怒れないので一刻も早く自分でアパート見つけて引きこもらないといけないと危機感がつのるばかりだ。しょっちゅう面接か何かのように「何ができる?」などと訊かれるのも不快で仕方なかった。指折り数えるほどの技能も技量もなく、面接嫌いでもあり、さらに付き合いは長く同居して行動を共にしていて何を見ていたのかと観察眼の無さにがっかりする思いもあった。相手が酔っていて、こちらは酒が入っているとはいえ正常に近い思考を保っていたからなおさらである。その上思い通りにいかないと不貞腐れたり、癇癪を起すことをこちらはわかっているので迂闊な発言をしないように気を付けるほかない。価値観や感性の違う人間と同居するのは無謀の極みだ。対人関係のトラブルの話を聞いときは軒並み相手が悪いことになっていたがこの様子だと当人にそれなりに原因があるとしか思えない。欠点が目立って見えてきている辺り自分に精神的余裕はまるでないのだろう。ストレスのある同居生活に加えて負債を背負い込んでいる。アルバイトの収入も貯金ができるほどではない。前職より収入が増えているのはおかしな話だが。正直に言えば早く死にたいのだが他人の家で自殺するわけにもいかないので死に場所を探して引っ越さなくてはいけない。一人暮らしをして水道光熱費と食費をどうにかして節約し、できるなら副業もしながら借金を減らす。できることはこれくらい。合間にアニメやゲームや弓道を楽しむ余裕もあるかどうか。どうせならだれか殺してくれないものか。趣味や好きなことすらままならない。そこまでして生きる目標もない。何のために生きているのか本気でわからない。世間一般的な生活は諦めた。人並みの幸福も諦めた。自分には何の価値も無いことはよくわかった。なんで生きてるのか。生きていて何になるのか。答えがあるんだろうか。

ここまで書いていてやはり転落人生でしか無いとつくづく思う。こんな人生なら歩みたくない。そもそも生まれからして欠陥製品だ。両親には申し訳ないが真っ当に生きていけるだけのものは持ち合わせてなかった。26歳と7か月といったところか。この歳でフリーターしかも借金持ちなど結婚はおろか恋仲になる酔狂な人物もいないだろう。まず自分が女と恋仲になどなりたくないと思っているのでそれ以前だが。加えて鬱病でADHDなのだから普通の社会生活も望めない。薬でようやくついていけるかどうか。こんな人生好き好んでやりたいか。常識的に考えて嫌に決まってる。苦行か何かだ。自分が一番惨めで辛くてしんどくて疲れて嫌になる。とにかく精神がやられる。こんな惨めな思いするなら生まれてこなければよかったとさえ思う。生まれてきたことが間違いだったと。とにかく何もない。むしろマイナス。もう嫌だ。早く死にたい。誰か殺してくれ。なんでこんな自分に生まれた。なれるものなら自分以外の何かになりたい。こんな思いしてまでなんで生きてなきゃいけない。とにかくかける迷惑を少なくするために死に場所が欲しい。引っ越さないと。

こんな人生何が楽しいんだ。