記憶に残っている学校の先生…




小学校時代


・ただでさえ厳しい担任が書道の時間になるとさらにヒートアップした。


・バトエンを取り上げられた。


・小3の頃、音楽の先生に「高い高い」されて心が弾んだ。


・新しく赴任した教員が始業式早々、校長先生の話の時間、騒いでた小2男児2〜3名を平手打ちした。


・化粧が濃すぎる先生がいた。あだ名は「マリバロン」。


・優しい教員だと思っていたが、怒ったら怖すぎて腰を抜かした。








中学校時代


・体罰で新聞沙汰になった人がいた。


・体育のプールの時間、体育の男教員が遅刻した男子生徒に激怒し、罰として公開接吻をした。


・結婚で浮かれて、テンションが上がっていたらしく華麗なバク宙を披露した教員がいた。(ちなみに生徒からの人気は厚かった)


・字が上手すぎる教員がいた。


・食べるのが好きで生徒の残飯を処理してくれる教員がいた。


・講師の心身が限界に達し、学級崩壊したクラスがあった。


・「口が臭い」とヤンキーから罵声を浴びせられた教員がいた。



・数学の教え方が上手い教員がいて、苦手な数学の成績が跳ね上がった時期があった。




・有無を言わさず、断定する教員が多かった中、

普段は冷静で厳しいながらも生徒の言い訳を聞き、教員側が不当であった場合には小さなことでもその不当を認める先生がいた。

その姿勢は今でも僕の手本にしている。









高校時代


・勉強には大抵の教員が厳しい。


・高1の担任はだいぶ歳が離れているが、本当に優しく面白い人で、クラス内外から慕われていた。おそらく僕が出会った教員の中でもNo. 1だ。





・数学の教員が非常に厳しく、毎回宿題をこなせなかった僕はいつも廊下に立たされて、黒板用コンパスで突かれた。

ただ数学だけ偏差値は爆上がりした。



・その数学の授業がやってくるのを毎回怖がっていた。

ある日、身内が亡くなり、僕は喪中ながら登校して数学の授業に出ていた。教員が小声で「色々大変だったなぁ」と囁いてくれて、嬉しさのあまり、僕はその場で目を潤ませた。

翌日、僕は宿題を忘れた。教員は「お前は絶対進級させんぞ!」と怒鳴られた。

僕の涙を返せ。



・いきなり髪型が変わって香水臭くなった教員がいた。



・授業中に、上手く仕切れない自分の不甲斐なさやが相まって涙を流した教員がいた。自分は騒ぐ生徒ではなかったが、「教員の仕事って大変なんだなぁ」としみじみ思った。












自分は小学校中学年くらいまでは「先生は世の中のことをよく知ってるし、どんなことでも言ってることは絶対正しい。背くことがあってはならない。」と思っていたし、自分に言い聞かせていた。



しかし、成長するにつれて思った。


教員も人間なんだなぁと。










朝ブログで時間がなかったので、また思い出したら何か書く。


記憶に残ってる学校の先生

 

 

 

 

 

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