かなしみってやつは 

後でやってくる。


ふと過去の記事とコメント見ていたら


先日亡くなった友人の息子さんの

コメントがあった。


本人は居なくても コメントは残る・・ 

ありありと想いまで伝わる。


涙があふれた・・


父が亡くなったとき  

驚きすぎて現実感が無かったけど


しばらくして本当に居ないんだ・・もう逢えないんだ・・と


理解したときの方が辛かった・・。


物は残っても本人は居ない 

その悲しみがいつも私の中にある。

私の原点かも知れないな・・。


私が時間をせくのは・・・ 

じっとしてるのが嫌いなのは・・・


そういう理由があるかも・・・

人は死んでいく生き物なんだから


無駄な時間などいらないのだと


いつもせいてる気がする・・。


最後に後悔しないように生きたい 

そう願っている。


最後の瞬間本当に頑張れた  

みんなにありがとうと


伝えられたら幸せだと思う。


前世でもっと生きたかったと 

思い残しがあるのかも・・


最近出したい過去がたくさん

出てきている気がする・・。


友人の息子ちゃんが 

もっと生きたかったと 

伝えてきているような気がする。


だからこそ後悔しない生き方を

していきたいと願います。


写真は

伯父の家にあったキリスト像


愛着があったのだろうと思い

大事にしている。



想いは普遍だな。









マリア拝