複数の知人が真面目に飲んだり

入院もしていたが

緩和した所見たことない



仕事にも影響して職場の隅で休んでいるのを見かけたこともあります



それから今まで見聞きしたことを

振り返ってようやく気づいたんです。



「精神薬で心の病は治らないし緩和しない」と



心の病になるんは

周りから様々な虐待等で抑えつけられた際に


当事者の心の安全レバーなるもの

拒否反応が少しずつ出ても

周りの言動は続けられてしまう始末


それが積もり積もって悪化したことで表面化する

心の悲鳴、及び自己防衛本能と解釈したほうが

納得できませんか


それをなぜ精神薬で蓋をしようとするのか


まずは

それだけ当事者が傷つき、苦しんでいること


沢山の我慢をしてきたこと


加害者本人たちも知って

虐待等をやめさせて言動を改めさせること


(親も心に問題抱えてる可能性があるので

親も専門家からケア受ける必要があると思います)


もちろん本人自身も自覚して

自分自身の心身を労わりながら

抱えてきた膿を安全な方法(暴走しないこと)で出させること



他にも必要なことは沢山あると思いますが



心の病はなるべくしてなった心の悲鳴、

防衛本能だと認識し



「今までつらかったね」って寄り添いながら

薬で蓋をしないで

認め合うことが大事なんじゃないですか?


医者も患者本人も加害者本人も


 

医師に処方された薬服用すると

患者本人の気持ちだけでなく感情や

考える力も奪われてしまう 

(おばはんの体験)



半ば強制的に

周りや加害者に合わせざるおえない状態になり

かえって逆効果になると思うんですけど



特に子どもは

自分で自分の心を守る術を知りません

親の感情の被害をそのまま受けてしまいます

(経験者は語る)


親自身が己の過ちに気づいて

子どもに謝って抱きしめたりできればまだ良いケース

そういうことすらしない親がいた場合

子どもの心に深い傷を負わせることになってしまうでしょう


結果的に

複数の心の悲鳴が出てくることにもなる



精神薬飲んで苦しんでる方たちが

いろんな形で声をあげているのに

 なぜそこまでして医師は精神薬にこだわるのか理解できません


現実は新しいことを知る努力もしないで

精神薬治療(認知行動療法のセット)に

頼る医師が目立ちます


当事者のことを第一に考えて

副作用のない新たな治療や療法を見つけようと研究する医師が日本にいてくれたら

どれだけの当事者の方たちが救われるか  

(スピリチュアル系除いて)



知人が副作用で苦しむ姿見た時に

その苦しみから救うことができないことのつらさ


副作用で苦しんでる患者がいるのに

それでもまた別の精神薬押しつけるのは

病院や医師身勝手過ぎやしませんか



さらに昔、各業種の人と話しても


「心の病=精神薬」という先入観を持った方が殆ど


おそらく精神薬を飲んだことない人が

勝手に思い込んでる無責任な人



その「心の病は精神薬」というおかしな先入観をとらなければ


精神薬による副作用で苦しむ人は一向に減りません


もちろん病気の種類や重さによって

異なることもあるとは思いますが

精神薬で悪化する人もいるということと


安易に他人に精神薬飲めと押しつけることも

実は危険だということを知ってほしい


※病気によっては精神薬が合う人もいれば

本当に必要な人もいることは100%否定しません。


心の悲鳴や防衛本能が出てるということを

本人や皆で認め合って



無償の愛情を注いだり

今まで抑えつけられてきた自身の声を安全な方法で出しきることも

心の悲鳴を癒すきっかけにもなると思ったのですが


患者1人1人に合った診察や治療、療法を全て伝えること

当事者に選択権を与えることも必要な心の治療につながりませんか。


これ以上心の病を持つ人たちが

精神薬の副作用で苦しんでほしくない。



ドキュメントやネットニュースのコラム見るたび

つらいです。



短時間診察ですぐ処方しようとする医師や

患者本人の精神薬への価値観無視して

精神薬服用を押しつけるのは


明らかに「患者目線」ではない。




(メディカル、市販)アロマオイルやアニマルセラピーが国に認可され保険適応できれば


沢山の人達が精神薬の副作用に苦しむことなく過ごせるかもしれない



なぜ日本政府は

副作用のリスクないものより

リスク高い精神薬を治療として認めるのでしょうか?



やっぱり「お金」だからでしょうか?



精神薬治療は「当事者目線」より

「利益目線」に見えてしまうのは私だけでしょうか?