徒然草 第五十八段

 

 「仏の道を進む心構えがあれば、どこへ住もうが構わない。世俗と交流することは来世の往生を願って修行する妨げにはならない。」などという人はまったくもって来世を知らない人である。

 

 人として生まれたからには、いかにしても出家することがあるべき姿である。

 

 と兼好さんは言われています。

 

 要は「出家しなさい。」と言いたいのでしょう。

 

 兼好さんの言う通りに、みんなが出家してしまったら、それはそれで大変なことになります。

 

 

「色々な人がいるからこの世は面白いのに。」

 

 

 兼好さんは30歳前後で出家隠世し修学院や比叡山横河などに籠り仏道修行の傍ら和歌に精進したようです。その後、色々な人と交流を持ち、鎌倉に行ったりもしています。

 

 兼好さんに関しては次のような話もあります。

 

 室町幕府の執事高師直は侍従の局から塩冶高貞の妻が美人であると聞いて、急に恋心を起こしたけれどうまくいきませんでした。「兼好といひける隠世者」に艶書の代作をさせました。

 

 兼好さん、ラブレターの代筆まで請け負ったようです。

 

 

「兼好さん、ラブレターの代筆屋さんをしてたの。」

 

 

 ところが、不倫などというものは、そうそう上手くいくものではありません。高貞の妻は手紙を開けることもせず捨ててしまいました。

 

 それに怒った高師直は兼好の屋敷への出入りを禁じてしまったという事です。

 

 ところで、高師直に塩冶高貞の妻が美人であると吹き込んだのは兼好さんだったようです。これで、兼好さんは恋の道もわきまえた「粋法師」としてのイメージを形成したという事です。

 

 

「兼好さん、結構策士だったのかも…。」

 

 

 太平記の巻二十一に書かれたものですから真偽のほどはご想像にお任せします。

 

 この話からも、その交流の多さはもちろんの事、行動はとても出家隠世した人には私には思えません。

 

 ところが、第五十八段で「さすがに一度仏の道に進んで山籠もりをする人は仮に欲が出たとしても、この世の栄華にいる人の貧欲さには及びはしない。」と言っています。 先手を打ったのでしょうか、素晴らしいです。

 

 

「兼好さんは策士そのものね。」

 

 

昨日はお雛様でした。

 

 

 

 

 

 

「お内裏様にお雛様ね。」

  - ヒメの一言 -