保田の海には思いでがいっぱいあります

 

子供たちがみんなで砂浜で遊んでいた時のことです

大きなお兄ちゃんたちが砂の中から何やら黒い塊を掘り出しました。

 

なんだろうー?

みんなで手に取って手渡ししていたら、そのうち皆の目が痛くなりました。

目から涙が出て止まらなくなり、みんなの目が真っ赤に腫れあがってきました

 

その塊は「涙手りゅう弾」という戦争の道具だったのです。

「B29からおとされたんだべー」と大人たちが言っていました

 

街に一軒しかない内科へ連れていかれて目を洗ってもらいました。

 

またこんな思いでもあります。

 

4才くらいの時、父が戦地から帰ってきたときのことです。

私は「お父さんじゃない」といってなかなかなつかなかったそうです

従妹のやす子ちゃんのほうが先に「おとーちゃん」と呼んで抱っこされました

 

父は私たちを浜へ連れて行って、「何か歌ってごらん」といいました

私たちは目いっぱい大きな声で歌いました

「オッ立った~オッ立った~何オッ立った・・アメリカの○○オッ立った~」

というものです

 

当時の私たちはそれを歌だと思っていたのです

何という教育をしているのだろうーと父は嘆いたそうです