東京オリンピックのバレーボールは駒沢スポーツ公園で行われました。

 

私達が都立大学に越してきたときにはまだ「駒沢野球場」とよばれていました。

その球場は東京急行電鉄が建設したのですが、オリンピックの為に用地を東京都に返還したのです

 

その結果、玉川通りから東京医療センターを経て駒沢公園に続くバス通りが開通したのです。

通称オリンピック通りとよばれています。

 

その他、代々木や渋谷などに次々と道路が作られ、目黒区にも環状七号線が貫通しました。

家の近所に環状七号線を通す柿の木坂陸橋が作られました。

そして、その下を目黒から二子玉川方面に貫通する目黒通り作られたのです。

 

私の大好きだった古い市場もその目黒通りの延長線上にあり、解体されてしまったのです。

 

その結果、のんびりした柿の木坂の町が高級住宅地へと変化しました。

駆け足で市場を抜ければ、3分くらいで駅に付くことが出来た通学路は、長い信号を待たなければならなくなりました。

いろいろな所で、いわゆる昭和30年代の懐かしい風景が変化していった時代です。