[天変地異]
昨日、今日と各地から地震の報が入る。
しかし、そもそも日本列島が地震の巣の上にあるのだからなー。
大学を卒業し岡山に赴任するとき、「西日本には地震と納豆はないから。。。」といわれた。
確かに地震は関東より少ないし、あっても小さかった。だが、納豆はスーパーでいっぱい売ってた。
でも、この10年ぐらい、西日本でも大きな地震は起きている。
ところで、地震への備えのこと。
とくに住居。
昔からある「純和風建築」は、柱で屋根を支えている。
だから、大地震で建物が壊れるとき、捻じれるように壊れるのだという。
捻じれながら壊れていく間に逃げろ!ということなのだろう。
その後、壁を立てて屋根(上階)を支える建物が主流になってきたようだ。
もちろん、計算はされている。
しかし、計算を越えたちからがかかるとある方向に歪んで潰れるように壊れやすい。
いろいろな方法で建物の「耐震」「免震」は研究され、建設されている。
言うまでもなく、大きな地震が来ても命を守れるように。
しかし、これは日本の話。
先年あったネパールの大地震、また、しばしば聞くトルコ地方の大地震。
現地の住居はほとんど日乾し煉瓦を動物の糞など粘着力の低いもので固めたものだそうだ。
(先日の高野山市民大学で、野口健氏(登山家だが、災害援助活動も全力傾注)が」教えてくれた)
大きな地震が来ればほぼ壊れる。当然、死者も大勢出る。
しかし、(真偽のほどは不明だが)現地の人は、「壊れたらまた作ればいい」と。
「地震や天変地異はいつ来るかわからない」「来たら来たで仕方がないではないか」
「人間のちからでどうなるものでもない」「悲しいことではあるが、それで命を落とすこともある」
「ただ、それだけのことだ」
つまり、「人間が自然のちからに勝てるわけない」と思ってるってこと?
ほんとうにそう思っているとしたら、この人たち「神に近い」と思ってしまう。
現代の日本では、天変地異やそのほかの災害に備えることは、たいせつな課題。
幼稚園でも定期的に避難訓練はしている。
園長という立場でいると、「子どもがいるときに起こらないでくれ!」とホントに思う。
東日本大震災(2011)の時は、最後のバスを出した直後で、預かり保育の園児も10数名いた。
だから、祈るのも必要かもしれないが、起こってしまったらどうするかだ。
だって、「東日本」の時は結果として判断を誤って多くの小学生の命が失われたのだから。
そう思うと、私の肩にかかる責任は重い。
ことによっては私の判断ひとつで、救えるものが救えないかもしれない。
だから、自分で念じているのは、すべてについてそうだが、「まずは、慌てない」。
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私事だが、わが家には隣家に高齢者(私の両親)がいる。そちらについても考える。
ありがたいことに、とりあえず身の回りのことはまだ自分でできる。
対した防災対策ではないが、
数年前に「ガス台が古くなったので買い替えたい」と相談された。
そのときに、「もう、ガスはやめてくれ」とIHに変えてもらった。
いつだったか、割烹着の袖口を焦がしたことを聞いていたので。
「大きい鍋がかからない」など言われたが、火事出すよりましでしょ。
[おまけ]
今日は、私のいちばん下の妹の誕生日でした。
一回り以上違うので、ぼくが高校生ぐらいのとき、
ぼくの膝の上でテレビを見てました。
たまに、子どもと一緒に遊びに来てくれます。