お城は好きですか? その13 | 司法書士法人 小屋松事務所 スタッフブログ「転ばぬ先の杖」

お城は好きですか? その13

GWに突入し暑さが増してきた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

当事務所スタッフブログの人気コーナー「お城は好きですか?」シリーズの第13弾。 

今回の舞台は、佐賀県第二の都市・唐津にある唐津城(舞鶴城)です!

(上写真:唐津城天守)

 

唐津城は1608年(慶長13年)に前回紹介した富岡城を築城した寺沢広高により築城されました。

 

寺沢広高は、唐津城を築城する際に近くを流れる松浦川の改修や虹の松原地区の植林や新田開発を行い、地域の拠点づくりに尽力したと言われており、寺沢氏は12万3千石を領する外様大名へと成長していきました。

(上写真:唐津城天守から見た景色。奥の台形の山は鏡山、その手前には「虹の松原」、「西の浜」が広がり、真下には藤棚(後述)を望むことができる。)

 

唐津城は、唐津湾を望む満島山を本丸としており、満島山を中心に虹の松原と西の浜一帯の松原が弧を描くように東西に広がる姿が、鶴の翼を広げた姿に見えることから別名「舞鶴城」とも呼ばれています。

(上写真:唐津城 二ノ曲輪「中段広場」)

 

築城主の寺沢広高は尾張国の出身で、父・広政と共に豊臣秀吉に仕え、文禄の役では名護屋城の普請や兵力輸送を担い功績を挙げて8万石の大名となりました。

 

築城に際し、九州各藩の大名や、穴太衆(あのうしゅう:石垣作りのスペシャリスト集団)らの協力があったと言われ、堀の名前や石垣の様式からもその様子がうかがえます。

また、同じく唐津市にあった名護屋城の廃材を使って建築されたとも言われています。

今でいうリユースですね(笑)

 

 

広高は、塩害対策として防風・防砂林「虹の松原」の植樹を進め、徹底した保護政策を実施しました。

 

この松の植樹に際し、広高は付近の領民たちを集め「この松林の中に自分が命よりも大切にしている松が7本ある」と話し、どんなことがあってもその7本は大切にするよう厳命したとされます。

 

しかし、領民にとってはどの松が広高愛用の松か分からず、結果的にすべての松を大切にするようになり、それが広高の狙いだったという逸話も残されています。

(上写真:虹の松原)

 

虹の松原はその後も保護され、現在では100万本以上の松が広がる唐津の有名な観光スポットのひとつとなってます。

 

その後、寺沢家は島原の乱後に失脚し、唐津藩は一時天領となり、以後、譜代大名である大久保、松平、土井、水野、小笠原と五つもの家が治め、明治維新後の廃藩置県で唐津藩は終焉を迎え、明治10年(1877)には舞鶴公園として整備、昭和41年(1966)に模擬天守が建設されて現在に至っています。

(上写真:唐津城天守から唐津市中心部を望む)

 

唐津城天守からの眺めは絶景です。

唐津市内を始め、前述した「虹の松原」、松浦小夜姫伝説で有名な「鏡山」など唐津を代表する観光スポットを一望できます。

(上写真:唐津城本丸「上段広場」から見た「高島」)

 

また、宝くじ当選祈願で有名な「高島」も一望でき、「高島」へは唐津城の駐車場の側にある「宝当桟橋」から定期船が出ており、そこからアクセスができます。

(詳しくは「宝当神社」のHPをご確認ください)

 

そして唐津城といえば、大きな藤棚の存在を忘れてはいけません。

(上写真:唐津城 天然記念物の紫藤)

 

毎年4月下旬~5月頃に掛けて、天守に続く階段にある藤の花が見頃を迎えます。

樹齢は100年を超えており、唐津市の天然記念物に指定されています。

薄紫色のカーテンが広がったようでとても綺麗ですよ!

【参考HP】唐津市HP 唐津城(舞鶴海浜公園)藤棚の開花情報

 

是非、この機会に佐賀の唐津城に足を運んでみてはいかがでしょうか?

 

★過去の「お城シリーズはこちらから」★

https://ameblo.jp/hikosan5802/theme-10120538096.html