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いわゆる「社会的に責任のある立場」を背負っている父親ほど、面接室での開口一番はこんな感じです。「先生は、カウンセラーですから、子どもや家族の心理が手に取るように分かるんでしょ。だから、先生のお宅はわたしたちのように”ヘマ”なご家庭ではないんでしょうね。”立派”なご家族で問題なんて起こりようがないでしょうね」

 

 

 

 

 

どこかに含みのある言い回しをする人もいれば、真顔で聞いてくる方もいます。ただ、いずれの父親もこの一言をつぶやくときの表情が落胆しきっています。

 

 

 

 

 

「他人にわが家の恥をさらしてまで、相談しなければ解決の道が見えてこないなんて男として情けないですよ。なんのために一生懸命になって働いてきたのか・・・・・」

 

 

 

 

 

わたしに対する防衛的な感情と安息を得たい謙虚さが見え隠れします。

 

 

 

 

 

「何をおっしゃるんですか。カウンセラーだから悩みがないなんて。悩みすぎるからカウンセリングや人間の心理に関心を持ち、救いを求めたんじゃないのかなと思いますよ。

 

 

 

 

 

自分の幼児期や児童期の親や周りの大人に対する満たされない思いを埋め合わせるために。子どもと関わる仕事に就きたいと願う心理と似ているかもしれませんね。

 

 

 

 

 

だから”衣”をきている部分も含めて、教師やカウンセラーの家もけっこう大変じゃないですかね。みんな、いっしょですよ」

 

 

 

 

 

わたしは人の身の上の相談にのっていることの不安や自信のなさを少し吐露します。

 

 

 

 

 

「本当ですか。それも、カウンセリングじゃないですか」

 

 

 

 

 

「いや、まいりましたね。たしかに少しはそんな気持ちもあるかもしれませんが。”仕事”ですからね。でも、”職場”のようには”家庭”では上手くいきませんよ。特に子育てや夫婦関係はね」

 

 

 

 

 

わたしが正直な自分の心を苦笑いで打ち明けると、多くの父親たちは”核心”の一端を話さないではいられなくなっていきます。

 

 

 

 

 

「そうなんですよ。こんなわたしでも会社の若い連中にはけっこう人気があるんですよ。でもね、息子や娘とはどうしてもうまくいかないんですよ。どうしてですかね」

 

 

 

 

 

同世代の若者なのにどうして”部下”と”わが子”では、接し方が違ってくるのか、そんな戸惑いが父親の顔を曇らせます。

 

 

 

 

 

「なるほどね」わたしは事の善し悪しにとらわれることなく、その事実の、そのように感じとった父親の気持ちに素直に応えたかったのです。

 

 

 

 

 

それが「なるほど」の一言でした。するとわたしのうなずきに、また多くの父親たち一人ひとりがこううなずいてくれます。「そうなんです」そこで互いに心を通わす場を微笑みと共に確認していくのです。

 

 

 

 

 

「お父さん(まだ防衛が強い父親には”ご主人”という)、子を想う親の思いの深さなんでしょう、きっと」

 

 

 

 

 

「そうなんですよ。これ以上、息子には言ってはいけない、と頭ではわかっているんです。でも先行きが心配で思わず叱ったりね。他人の子なら言いませんよ。他に親御さんがいるんですからね。

 

 

 

 

 

部下に対してもそうです。可愛い子ほど厳しいことを言ってしまいますね。そうですね、それでも息子と比べたら言っていませんね。冷たい言い方かもしれませんが、異動するまでですよね」

 

 

 

 

 

わが子や、部下とのこれまでのやり取りを思い浮かべていくのか、こんなとき父親たちはわたしに向けていた視線をはずしていきます。

 

 

 

 

 

「そうですよね。わたしもカウンセラーの前に、わが家の子どもたちにとっては”父親”であり、妻にとっては”夫”であり、母親にとっては”息子”ですよ。

 

 

 

 

 

いやもっと前に、”しっちゃかめっちゃか”な一人の人間ですよ。わがままで、自分勝手な・・・・・・・」

 

 

 

 

 

「そうですね。反発されたりすると、可愛いから叱ってるんだと言いますが、あれは”言い訳”ですね。親の世間体、わたしの社内での”名声”を少しでも上げたり守るために、叱っているんですよね。

 

 

 

 

 

保身であることを認めないと、本当の意味で心は交流しないですね」

 

 

 

 

 

ここまでくると本音を言えた安堵感が父親たちの閉ざされていた心を解放していきます。

 

 

 

 

 

「役目(割)をとれば、みんな当たり前に世の中を生きている一人の人間ですね。いやね、この前も朝の出かけにいろいろありましてね。わたしだって誰かにカウンセリングしてほしいと思うときがありますよ」

 

 

 

 

 

どうしてこんな展開になってしまうのか、自分でもよくわかりませんが、男同士なのか企業戦士同士なのか、わたしは父親と面接になるとつい弱音を吐いてしまうことがあります。

 

 

 

 

 

「冗談でしょ、本当ですか。何かあったんですか」こんな言葉を聞くと、斜に構えて向き合って話していた父親さえも不思議に身を乗り出しているようにわたしには思えてきます。

 

 

 

 

 

そしてついポロッと、わが家の朝のひとコマを愚痴ってしまうのです。人は誰でも関心を向けられたり、理解しようと努めてくれる姿に接すると心が開いてきます。

 

 

 

 

 

今日の朝ね、高校一年生の娘から『今日からマクドナルドでアルバイトするから、お父さん、承諾書を書いてよ』と言われましてね。

 

 

 

 

 

実は三日前に履歴書を持って面接に行くということがあって、そのとき妻とわたしの意見に多少の違いがあって、もめたんですよ」こんな話を持ち出すと多くの父親は、驚いた顔でこう言います。

 

 

 

 

 

「へえー、うちと同じですね。どうしても妻は子どもに甘いんですよ」どこの家でも父親は厳しく、母親は優しすぎるというのが来談する男親たちの共通認識であるようです。

 

 

 

 

 

状況が変わると父性も”突如”として発揮されているのです。「ところが、うちでは妻が反対で、わたしが賛成なんです。妻は娘に『今は勉強しなければいけない時期だから、遊んでばっかりいないで机に向かいなさいよ。大人になったら休みたくても休めないほど働くんだから。お母さんの言うことが聞けないんだったら、もうお弁当は作らないからね。それに部活が終わってからのアルバイトでしょ』と叱るのです。

 

 

 

 

 

すると、わたしはカウンセラーという仕事柄そう思えるのか、『アルバイトだけが目的じゃなくて、友達づくりもあるんだろう』と少し娘の立場をかばうわけです。

 

 

 

 

 

こうなると、わたしと妻の対立になって、いつの間にか娘は部屋に戻っているんです。そして今日の朝の一件になるわけです」

 

 

 

 

 

「いや、まったくその通り。わたしもつい甘くなってしまうときがありますよ。夫婦で厳しくしては、子どもに逃げ場がありませんものね。

 

 

 

 

 

わたしたちと同じように苦労しているんですね。安心しましたよ。わたし、辛かったんです。部下からはなにかにつけ部長の家は大丈夫でしょうと言われるたびに」

 

 

 

 

 

人はほどよい自己開示に触れるたび、心の鎧をさりげなく外してみたくなるものなのかもしれません。