(六本木の都電)

話は、高校3年生の5月 突然教室に担任の先生が来て僕に職員室まで鞄を持つて同行しろと、担任の前の椅子に座るなり君はパーティ券を売り買いしたか?煙草は吸うのか?他に誰が吸うのか?  答えは当然していませんと煙草は吸いません。

と言うといきなり鞄から教科書やノートを取り出して、白い紙の上に鞄を逆さまにして手でパタパタと叩き出し,あれよと言う間に煙草の葉が落ちこぼれ喫煙を認めざるを得ない状況に追い込まれました。

こんな訳で夏を前にして3ヶ月の謹慎と高校側から言い渡され。条件は日記を書き毎月の月末に担任の先生に提出する事ですが、3ヶ月、毎日反省の日記を書いてて家に居るなんて出来る訳ないので、日本橋にある紅花レストランにアルバイトで3ヶ月働く事になり、毎日週5日青山高樹町から都電で六本木を通り日本橋まで通勤すること成りました。

それから一ヶ月程過ぎた日の事 夜10時頃仕事が終わり日本橋から都電に乗り込み生憎、満席で座れません新橋を過ぎ虎ノ門,溜池と六本木で僕の前の席が空きましたが 

後二つ目の青山高樹町の停留所で降りので、そのまま立っていると隣に六本木から

乗ってきた女性が居たので、どうぞと席を勧めました。お礼を言われ席に座りました。

僕は、青山高樹町で都電を降りました。

話が変わりますが六本木の都電の停留所には ギターを持つ乙女のブロンズ像があり

俳優座から直ぐの所でした。現在は三河台公園に移されています。

翌日、アルバイトを終えて都電に乗り六本木で昨日の彼女が偶然乗り合わせ 僕と目が、会うと今晩は、昨日は、ありがとうと話かけて来ました。最近九州から出て来て、お姉さん夫婦の所に住んでいて、友達がいないので、よろしければ友達にして下さいと。

直ぐに電話番号と名前を交換し取り合えず明日、夜10時30頃に六本木の角の誠志堂本屋の前で会う事に決め青山高樹町で都電下りました。

翌日いよいよ、始めてのデートの日、僕はVANのマドラス柄のジャケットにDWARDSの黒のメシュのネクタイとその当時 流行した雑誌MEN’S CLUBから抜け出た様で最高のお洒落をして本屋の前で待ち それから数分して喫茶店アマンドの方から彼女が横断歩道を渡り始めて来て、僕の胸はドキドキ何故か背中を見せてとにかく店の前に積み上げてある本を取り上げ読む振りをして秒待ち。来た“今晩は”と声をかけて来たので僕も”今晩は“と返しました。取り合えづ渋谷に向かい歩きはじめ、六本木から霞町を抜けて秋山正太郎のスタヂオの下にある喫茶店アマンドに入りお茶を飲みに 彼女の名前は小野町子、年は19歳

1ヶ月前に博多から下高井戸の姉さん夫婦の所に元の彼氏を忘れて新しい生活を求めて

東京に来たとの事、今 六本木のアマンドに働いていると話を聴いている内に僕は、

何故か17歳の青二歳とは言い出しにくくて、よせば良いのになんと国学院大学1年生と話しました。結果的には翌年国学院大学に入学しましたが。それから店を出てブラブラと歩き続き渋谷の東急会館の横まで 東横線に乗り下高井戸まで送りました。なんとこれがいつものコースになりました。

アルバイトが終わり都電に乗り六本木で降りて喫茶店アマンドの前で彼女が仕事を終わるのを待ち、それから、ブラブラと取り留めもない話をしながら霞町、高木町、渋谷まで歩き東急会館の横にある喫茶店の2階でお茶を飲んで渋谷から東横線下高井戸まで送ります。彼女は堀の深い顔で笑顔が素晴らしく性格はいつも笑いこけて僕を楽しい気持ちにさせてくれ会う度に僕の気持は彼女の虜。4-5日後、いつものとうりに渋谷に向かい歩きだしました。

高樹町を過ぎたあたりで組んでた手を払い突然、僕の腕を取り腕を組んだので体が寄り添い、僕の腕の肘あたりに少し固めのブラジャーが擦れて体中が熱くなり心臓はパクパク状態でも、何も無かったようにそのまま歩き続きましたが、その夜は興奮し寝付かれず困り果てたのを、50年後の今も昨日の事のように思い出します。

17歳になるまで女の人と手も握った経験もなく当然キスしたこともなく人並か奥手なのか 全て初めての経験でした。その後は、当たり前のように腕を組みあるき何か大人の仲間入りをしたかのような気分で有頂天でした。

そんなある日、彼女と六本木から霞町に歩き出したら、弟とその友達が前から現れて 

オーと挨拶したので僕もオーと挨拶し通り過ぎた時、彼女が あの人達知り合い?と聞くので、何故と聞くと 彼女曰くお店に来ると私にいろいろと話し掛けて来る生意気な人達等と話すので。弟と言い切れず僕の近所の友達と話して終わりましたが、家に帰ると弟がどうして知り合えたのと、うるさく聞くので参りました。

夏も終わりに近く、まさか僕の恋愛も終わり近くなるとは、その日 僕らは六本木から霞町,高樹町 どうしてか そこを右に曲がり今では骨董通りと呼ばれる道を青山通りへと歩き左に曲がり 青山学院のレンガ塀に沿い歩いた時に口ずさんだのが MORE でこの時代とても流行したイタリア映画“世界残酷物語”主題歌でした。

彼女が突然、僕の首筋を指して何故赤いアザがあるのと聞くので 横になって煙草を吸いながら本を読んでいたとき何故か煙草の火が首筋に落ちたので手で叩いたので火傷したと答えましたが彼女は黙り込んでしまいました。

下高井戸の駅でここでいいから帰ってと言われ、帰りました。

後で解りましたが首筋にきつくキスすると赤いあざが付く事があるので彼女は僕に他に、女の人がいると疑ったのでしょう。翌日、電話をすると“少しの間会いたくない”との事で、電話を切られてしました。

どうしても会って話をと思い3日後に六本木のアマンドに訪ねて行くと彼女はお店を辞めたと言うので家に電話をするとお姉さんが出て“彼女は、昨日博多に帰りました。”と僕は、“博多での連絡先を教えて頂けますか?”と聞くと もろに電話を切られました。

夏の花火のように束の間の神様がくれた僕への贈り物でした。

 

 

2016/FEB/18

小林英明