はじめまして、女将です。

7月17日‥夫永眠しました。

最後の更新の11日の後自宅に帰って来てくれて通院で放射線治療しながら
18日からの仕事の準備をしていたんです。
入院中一度だけ
しんどい‥と
LINEが来た事がありました。
相当辛かったのに‥。

この場所を亡くなる前に偶然見つけて
けれど内緒にしていました。
唯一本音を言える場所なのだと感じたからです。
そしてもしかしたら、
自分が逝なくなった後にわたしがみるであろうと、
わたしが少しでも悲しくならないよう、後悔しないようにとあえて強い気持ちを綴っていたのではとも思えています。
照れ屋さんの夫からの女将への気持ちに涙していました。
皆さん読んで頂いてコメントして頂いてありがとうございました。

告知を受けた時私の方が元気をなくしてしまって
癒しの曲が入ったCDをネットで購入してくれたり
弱音なんか一切吐かずに元気に仕事する姿を見せてくれたり‥。
私が笑っていられるよう‥
私と笑っていられるよう常に前向きでいてくれたんだと思います。

私も周りの人と同じく身体の事を1番に考えてしまってぶつかる事がありましたが
大好きな車磨きの仕事を優先させる夫を
私だけはわかってあげようと努めるようになりました。
夫がどんな車磨きをしてきたか
沢山の方々からお話をして頂いて
命をかけて磨いていたんだと改めて思い
夫の思いに寄り添えてよかったと
唯一私がよかった〜と思える事です。

煙草をやめる宣言はなかなか守れずバトルになったりも‥
なので告知後‥
すぐ私に言った言葉は‥
すまん‥治すから許してくれ‥でした。
けれど今となっては強い夫でいられたのは煙草のお陰だったのかもしれません。
告知を受けてからはやめる事ができましたが
いつでも吸いたい一生吸いたいと言ってましたから‥。
なので祭壇には煙草があります。

夫は時々いっていました。
5年が1年‥1年が1ヶ月になってもこのままの変わらない自分でいたい。
最後まで変わらず車を磨きたい‥ほんとに実現しました。
そして亡くなる前日は
自宅で私のそばで
息子家族とテレビ電話で孫の姿を見て嬉しそうにしてました。
急に食べられなくなり痛みもでて辛かっただろうにほんとに強い夫でした。

まだまだ車磨きも極めたい‥
孫の成長も見たい‥
女将を置いていけないと、
後10年は絶対大丈夫だと言っていたので悔しくてなりません。
けれど好きなように生きた夫でしたので今笑っていると思いたいです。

私が強ければ夫は頑張りすぎずに済んだのかなぁ〜後悔ばかりで、
会いたい会いたいと思う毎日ですが
夫が送りこんでくれているかのように毎日色々な方が来てくれたり、
自営の方も夫の信頼してきた方々が力を貸してくれたり、
仕事も復帰できるよう導いてくれたり、夫の物凄い力で守られてる様でなんとか一日一日を過ごしています。
生きていてこれ以上悲しく辛い事はもうないんだと…

癌は恐ろしい病気です。
よく共存していくと聞きますが夫はそれはない。
絶対倒してやると言っていました。
早い段階で見つかったので多形癌でなければと何度思ったことか。
けれど夫らしく最後の最後まで強く戦ったと思います。

早くどんな癌も治る時代が来て
こんな悲しい思いをするひとがいなくなる様祈るばかりです。

夫の人生は年月的には全うしたといえませんが、
命をかけれるほどの仕事に出会い、
支えてくれる方々にも恵まれ、
もしもの時はすべてを託せる息子がいるそれだけでも素晴らしい人生だったのではと思います。
私女将にとっても夫との日々は
笑いいっぱいのかけがえのないとても幸せなものでした。
最近やっと‥夫の人生はイイ人生だったと思えるようになり‥
そんな夫と過ごした私‥かわいそうな奥さんではないよと胸を張りたいです。

この場所を最後息子が閉めてくれることになっていたのですが
息子のお嫁ちゃんがお母さんが今思う事載せたらよいのではと言ってくれて‥
自分の気持ちを涙と一緒に外に出せた様であたたかな気持ちになっています。

今治療されていられる方が元気になっていかれるよう祈ってます。
同じ病気でも人それぞれなにもかも違うと経験しました。
強い気持ちを持って頑張って下さい。