2013年に、出羽三山での修験道体験(山伏修行)に参加した、ひかりの輪スタッフの感想や体験をご紹介いたします。毎年恒例で、今年2017年は7回目となります。
 

 毎年、羽黒修験の現地の本物の山伏の先達の方と宿坊にお世話になり、本物の山伏体験をさせていただくことのできる、生きた学びの機会です。
 今年2017年も以下の日程で行います。ご関心・ご興味のある方はお気軽にお問い合わせ下さい。

(2017年7月29~30日(土・日)、出羽三山(山形県)にて本格的な体験山伏修行のお知らせ)

 

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●水野愛子(副代表 50代女性 東京)

 今年は3回目の参加となり、修行や行程面での不安面も殆どなかったため、落ち着いた、自分自身に向き合う修行になったと思います。

 聖地巡りでは写真撮りや行事のレポート発信を担当しているため、修行に差し障りない程度の写真撮影を行わせていただきました。しかし、いつもの癖で「写真を即時にレポートして発信しようか」という考えが浮かび、あれこれ試そうとしたのですが、それを行うと、修行よりもそちらに心が向いてしまいます。

 やりたいけれどできないもどかしさを経験して、自分が仕事に固着していることに改めて気づきました。普段は、行事の即時レポが大変有用なのですが、この修行では仇になるのです。

 そこで、我執(自分自身に対するとらわれ)を捨てるつもりで、一切の発信を断念したところ、心がすーっと楽になりました。何と、今回の修行で一番にぶつかった壁が仕事だったのです。日頃が出るのが修行なのだということを実感した出来事でした。

 羽黒山や月山への登山では、苦しい時、みんなで一緒に乗り越えていることを励みに、苦しみに没入せずに、心を広げるように考えました。また、夏のわずかな期間だけしか登山できない月山には、参拝者がひっきりなしに訪れます。この光景を見て、「山の何が人を惹きつけ、信仰にいざなうのか」を考えながら登りました。

  山伏の先達は、現代人は頭でっかちだから、山に入って山から学べとおっしゃいます。

 登山しているときは無心になれます。考えることをストップして初めて、別の何かが動き始める。それは、現代人に失われがちなもの(先達がおっしゃる野生性)を呼び覚ます、ということではないかと思います。

 山に入り、自然の音を聞き、無心になると、自然の中に溶け込んで、人が本来持っている感受性が回復していくのがわかりました。

  無心といえば、湯殿山での滝行(今年で2回目)もまさにそうでした。今年は大雨の影響で水はやや温んではいたものの、水量がいつもより多く、流されそうになりながらも滝壺に近づき合掌して夢中で真言を唱えました。この時、頭は空っぽです。しかし、滝行が終わった後の清々しさと体の軽快さは何ともいえず爽快でした。

 滝行の後の湯殿山のご神体参拝と湧き出るお湯の温かさ。自然の雄大さと自然に神(慈悲の現れ)を見た人々の気持ちを共有できたように思いました。

 夜は「とそう行」という歩く修行があり、そこで見た、木一杯のホタルにも「生」の輝きを感じました。都会では絶対に見られない光景でした。

 今回は、多くの初参加者の方々と一緒に、自然から学ぶ、山伏修行を行えたことはたいへん有意義だったと思います。毎回、新たな気づきを与えていただくように感じます。

 ご指導いただいた先達、同行してくださった河野義行さん、ご参加くださった皆さまに心から感謝いたします。 

 
●細川美香 (副代表 40代女性 東京)


  今年で3回目となる出羽。そして、本格的な山伏研修は2回目となりました。

  今回は、昨年の自分自身の反省を生かし、1つの目標を持ち参加しましたが、その目標とは「自分に負けない」ということでした。そして、自然から学ぶことを意識してみました。

 昨年は滝行の際水の冷たさ、水の勢いに自分自身がおののいてしまい、行う前からすでに気持ちが引き気味になり、負けていたというのが反省の一つでした。

 もう一つは、月山とそう行。これもまた辛いものでした。肉体的苦痛が精神的苦痛になり、昨年は最後まで苦戦したことを覚えています。
 

 昨年と同じことを今年は繰り返さないという思いから、そして、少しでも進歩する自分になりたいという思いから、「自分に負けない」という目標を持って参加しました。

 はたして、目標を達成するということがどういうことかと判断することは、なかなか難しいことだとは思いますが、振り返るとまた来年への課題が見えてはいるものの、まずまず達成することができたのではないかなと思います。

 心に残ったものとして、夜間と走があげられます。真っ暗な中で自然の音を聞きながら、自分の感性を研ぎ澄ませていくと、自分という存在はあるのか、ないのか、そして、大いなる宇宙の中ではちっぽけな存在で、その宇宙の中で育み育てられているんだなという実感がわきやすく、心が広がっていくのを感じました。
 
 1日目の蛍も感動しましたが、2日目の真っ暗な羽黒山参道がとても気に入っています。真っ暗の中を歩くということは、普段はほとんどしないことですので、よりそのように感じたのかもしれません。

 滝行、今年は水温が昨年より温かかったようで、昨年よりは、行じやすかったかなと思いました。しかし、水流が強く、2回目に滝行を行った際に自分が流されてしまう感じがして、恐怖がでてしまい、その後は挑戦できないという、また、来年に課題を残した滝行となりました。

  南蛮燻、今年は燻されながら、勤行を行うというレベルアップしたものでしたが、煙を吸わない、吸いたくないと思うより、煙を吸いながら勤行を行うのは、咳、鼻水、涙は出るものの、終わったあとはスッキリした感じを受けました。

  月山と走、昨年のリベンジをかねて、山から教えていただくということを意識し、自分というものにとらわれないことを意識して登っていきました。

  先生の「辛いのはみんな同じだから」という言葉を聞き、「そうなんだよな」と思い、自分だけが辛いわけではない、その辛さをいかに自分に負けずに戦うか、自分が頑張ることで他の人も頑張ることができる。みんな繋がっているんだなと思い、今回は、楽しく山を登ることができました。

  そして、最終日の羽黒山での参拝、私はあの雰囲気がとても気に入っており、神々しい感じが、自分が浄化されていく感じがして、意識がクリアーになっていきます。

 毎年、先生にはいろいろとお世話をかけていますが、このように受け入れてください、とても感謝しています。その感謝の気持ちを多くの人たちのために広げていくことができればと思います。ありがとうございました。

 
●広末晃敏 (副代表 40代男性 東京)

  今回の出羽三山での修行で得たものは、自然の「厳しさ」と「優しさ」、そして、それらに共に生き、生かされる「感覚」でした。

 初日の最初の修行である羽黒山への登拝の際、山のふもとの鳥居をくぐった瞬間から、凄まじい大雨に打たれましたが、普段なら、鳥居の脇で手を洗い口をすすぐだけの簡易な禊ぎを、まさに全身で行うよう求められたかのような感覚でした。急いで雨具を羽織りましたが、傘を差し雨を防ぐ日常生活では感じられない、雨の強さと冷たさを直接肌で感じた思いでした。

 そして、湯殿山の滝行では、昨年に比べて水量が多かったせいか、莫大な勢いの水に押し流され、滝の下にまでたどり着くことすらできないほどでした。水中では、どんなにもがいても、ほとんど体の自由がきかなかったのです。

 また、同じく湯殿山のご神体近くでは、肌を焦がすような地球の火のエネルギーをまざまざと感じさせられました。水と火という圧倒的な自然のパワー、その「厳しさ」に対して、自分の無力さ、小ささを痛感させられる経験でした。

 一方、修行の終了後、ふもとの温泉に入って、ほっとした思いで体を休めましたが、この温泉もまた水と火という自然のパワーのなせる業かと思うと、そこに自然の「優しさ」を感じざるをえませんでした。

 山での修行指導中は厳しかった先達(修験道の先生)が、私と一緒に温泉に入っておられたときは優しい表情に変わっていたことも、まるで自然の「厳しさ」と「優しさ」が先達に投影されていたようで、とても興味深く感じられました。

 人間は時折「自然を征服する」「山を制覇する」などという表現を使うことがありますが、そのような表現や考えが、自然に対していかに傲慢であるかということを、この修行を通じて実感させられた思いです。自然の厳しさの前に謙虚となり、その優しさと恩恵に感謝し、共に生き、生かされる感覚を覚えた3日間の修行でした。

 これは、いくら言葉で説明されても理解することができない、貴重な体験であり、「感覚」でした。このような貴重な経験をもたらしてくださった出羽山の大自然と、先達に御礼申し上げます。


●田渕智子 (大阪教室担当 50代女性)

  今回で3回目の山伏修行をさせていただきました。いつもながら先達のお言葉は「私は何も語らない。自然から学んでください」というものでした。

 自然から学ぶ・・・・・何を学ぶのか?簡単なようで難しいことなのです。出羽山の自然は、それは汚れのない、人工的でない、純粋な自然が残っている感じがします。自然が活き活きとしているのです。

 特に月山に登っているとき見かける植物の緑は本当にきれいであざやかで美しいのです。

都会の植物とは全く違うのです。こんなに美しい植物は他では見たことがありません。造花のような美しさなのです。天上界の植物はきっとこんな感じなのかもしれません。月山の登拝は片道3時間と長く苦しい道のりですが、この植物の美しさに癒されました。

  羽黒山の2000段の階段を登るときは、杉並木に癒されました。涼しく心地よい道を作ってくれて守ってくれているかのようでした。もし、この緑の自然がなかったら山登りは相当辛いものになったでしょう。

 自然は何も言わず、ただ受け入れ守ってくれている・・・・

 滝行の水は冷たかったのですが、気合を入れて水に浸かったあとは心地よい暖かさも感じました。雨に降られたりしましたが、自然が与えた禊ということでしょう。自然に対しては文句もいえません。たんたんと受け入れて山に登るだけです。

  大自然が神々しく、言葉や理屈ではなく、静かな慈悲のようなものを感じました。

  出羽三山は今は車で途中まで行けたりしますが、昔の人はもっと大変な思いをして登拝していたと思います。即身仏の修行などは本当にすごく大変で命懸けだったことでしょう。

 それに比べると私達の修行などたいしたことではありません。

 いまもこのように出羽三山の山伏の修行が続いていることはすごいことです。そしてそれを体験させていただけたということは本当に貴重な体験です。ありがとうございました。


●宗形真紀子 (広報 40代女性)

 出羽三山山伏修行は、今年で3年目を迎えることができました。三山を歩かせていただいたのは4回目となります。

 今年、初めて見たものは、蛍のクリスマスツリーでした。真っ暗な夜道を、夜間と走という行で、皆で歩いていたら、田んぼの近くに、星のように蛍たちがきらめいたと思ったら、ちょうどうっすらと黒い森のシルエットが浮かぶところに、蛍たちが集まって、クリスマスツリーのように輝いていたのです。

 これには言葉を失いました。こんなに美しいものを初めて見ました、という気持ちがしました。

 そして、最後に、宿坊の奥様のお心のこもったおいしい精進料理をいただくと、とてもほっとした豊かな気持ちになりました。どんな立派なごちそうを食べた気持ちともちがう豊かな気持ちです。河野義行さんも参加され、みなさんの修行の感想を聞きながら、とても幸せな気持ちになりました。

 本当にありがたいと思いました。来年は、もっと自然と近くなれるように精進したいとと思います。先達には毎年お世話になり、本当にありがとうございました。
 

●大野哲生(スタッフ 40代男性 宮城)

 今回、出羽聖地巡礼前は、やや疲れ気味だったのですが、約2日半の修験道の修行で、ある程度回復させていただけたように思います。特に月山とそう行の後、それを感じました。

 南蛮燻しは、一生懸命、呼吸しないようにしていたところ、先達の先導で般若心経を唱えることになったので、煙をたっぷり吸い込み、咳き込むことになってしまいました。

 しかし、実際に吸い込んでも、自分で恐れていた程のことはなかったことに気付かせていただくことになりました。

 また、滝行は、去年もそうだったのですが、自分が冷たさに弱いことを思い知らされることになり、修自分なりの行課題の確認ができました。

 粗食の修行に関しては、ほとんど苦痛に感じなかったのですが、これは、一緒に参加している皆が、同じことをしていることが、大きいのではないかと思いました。

 こういう修行の場を与えていただいたことに感謝したいと思います。

 

●吉田惠子 (福岡教室当 50代女性 ※月山9合目まで)

 今回で3回目の出羽巡礼の参加になります。先達の先生からは、いつも「山から学ぶ」というアドバイスを受けていましたが、今回も大自然の壮大さ、雄大さに圧倒されました。

 普段、山にあまり登るということをしていませんが、今回も大自然の壮大さに、普段の自分が、あまりにも小さくて、未熟であるということを出羽三山に登ぼりながら痛感していました。こいう機会は自分を知るとても大切な機会となっています。

 滝行などもこういう機会がないとなかなかやることはありませんが、やったあとは身も心もとてもスッキリしていて、その後、湯殿山に参拝にいったのですが、これも私にとっては素晴らしいものでした。

 都会の中で、世事のことで追われがちな私にとっては、大自然が神ということを認識できる機会となっています。体力面でだいぶ落ちていることも認識でき、もっと普段からより一層、気をつけていかないといけないと思いました。

 こういう素晴らしい機会を与えていただけることに感謝しないといけないと思いました。ありがとうございました。