2015年に、出羽三山での修験道体験(山伏修行)に参加した、ひかりの輪スタッフの感想や体験をご紹介いたします。毎年恒例で、今年2017年は7回目となります。
 

 毎年、羽黒修験の現地の本物の山伏の先達の方と宿坊にお世話になり、本物の山伏体験をさせていただくことのできる、生きた学びの機会です。
 今年2017年も以下の日程で行います。ご関心・ご興味のある方はお気軽にお問い合わせ下さい。

(2017年7月29~30日(土・日)、出羽三山(山形県)にて本格的な体験山伏修行のお知らせ)


 

●水野愛子(副代表50代・5回目) 

 今年で5回目の出羽修験道修行への参加となりましたが、回を重ねる度に新たな気づきがあります。

 登拝することに必死だった初回などに比べ、行程への慣れがある分、大先達がおっしゃる、自然と一体になることに集中して望めるようになってきました。

 山を生命の根源・母ととらえ、山に入り山(=自然)にとけこんで一つになるという修験道の精神は、現代人に欠けている要素の一つだと思います。人が自然の一部であること、様々な関わりの中で生かされていることに気づきにくいということです。

 よく言われる「感謝の不足」というのは、自然との関わりが薄れていることからも生じているようにも思います。これは、ひかりの輪で日々学んでいることでもありますので、山伏修行でそれを自分にもあてはめて、実体験として自分におろしていくということを繰り返していきます。

 例えば、滝行。

 


 滝行は、怒濤のように流れ落ちる滝に近づき冷たい水に打たれます。男性でも、近づくこと、滝に打たれることはなかなか大変で、四苦八苦します。

 そんな中、先達は不動の姿勢で滝にうたれていらっしゃるのです。

 「滝行は頑張ってはだめ。落とすんだ。」と手を下腹に当てた大先達。 ああ、そうか。納得!  
 手取り足取りはなさいませんが、短い言葉で的確に修行の心髄を伝えてくださるのです。こういう体験は自分がやってみなければ決してわからない感覚です。

 この二日の間、周りとの言葉のやりとりは非常に少なかった。しかし、これは自分と対峙し続ける修行であり、内側から満たされる何かがあるように感じられました。

 初参加の方々のことが気になりつつ、月山登拝後、一緒におにぎりを頂きながら感想を聞いてみると皆さん、色々な気づきを得ていらっしゃったのも、とても嬉しいことでした。

 都会生活で狂いがちな量りをリセットするためにも、定期的に自然にひたりきる、このような修行に参加することは大切なことだと思います。頭で考えていること、学んだことを、自分のものにして根付かせていくことは、なかなか難しく、時間が掛かることですが、この山伏修行では、それが確実に深まっていきますので、大変貴重な体験だと思います。

 一人でも多くの方に、このすばらしい山伏修行にご参加いただきたいと思っております。毎年、ご指導いただいている先達と参加された皆さんに心から感謝いたします。
 



●細川美香(副代表40代・5回目)

 今年で5回目を迎えた出羽三山への修験道研修。

 印象深く残ったのは夜間徒走でした。夜間徒走は昨年も印象に残ったため、実は楽しみにしていました。

 あの暗闇がなんともいえない心地よさをもたらしてくれるのです。

 今年の夜間徒走の際に、暗いから懐中電灯で明るくしている人に対して「明かりを消すように、暗闇に慣れるから」というような趣旨のことを言われました。

 確かに夜間徒走が進んでくると、提灯の明かりさえ必要ではなくなり、逆に邪魔な感じにもなり、暗闇が妙に心地よく落ち着いてきて、どのように表現したらいいのかわかりませんが、大きなものに包まれているという感覚をとても感じて、ずっとこの夜間徒走をやっていたいとう気持ちになりました。

 死後の世界のことはわかりませんが、なぜかその暗闇が死後の世界のようにも感じ、いろんな思いが交差しました。

 月山徒走は昨年は諸事情によりお休みしたので、2年ぶりに月山山頂に行きました。

 山頂までは山あり谷ありで、楽したいな、ここで引き返そうかという気持ちと常に戦いながらの徒走でした。

 この日は、風が強く天気はいまいちで、遠くの景色はほとんど見ることができませんでしたし、徒走するのに必死のため近場の景色さえ目を向けることができませんでした。

 しかし、意識が変わり自分の気持ちにゆとりが生まれたときに、近場の景色に目を向けたりすると、雄大な自然が目に飛び込んできて、リラックス感が増すような気がしました。

 2日間、どうもありがとうございました。また、来年もよろしくお願いいたします。


●広末晃敏(副代表 40代・5回目)

 自分の身を翻弄する激流、身体に叩きつける冷水、視界を遮る霧、行動の自由を奪う暗闇、高地を覆う寒気、肌を焼くような熱気、立ちはだかる岩山の群れ、吹き付ける強風――都市生活の中では感じることのない、大自然の環境の中に直接肌をさらすと、自分の小ささ、無力さをあらためて感じさせられました。

 「自分の力」などというちっぽけなものでは、何ともしようがないことを痛感させられながらも、大先達に続いて、黙々と歩み続け、音楽性(自然と調和したリズムといえましょうか)を備えた詞章や経文を唱え続けると、そんなちっぽけな自分が溶け出して、大きな存在の中の一つの流れとしてあるような感覚が生じてきました。

 山を下りてきた今も、時折この感覚が思い出され、自分にとらわれて苦しくなった時にも、感覚をよみがえらせ、心を広げて平安に近づくことができます。

 おかげさまで今年の夏も、新たに生まれ変わる機会をいただきました。

 ありがとうございました。
 

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●宗形真紀子 (指導員・5回目)

 今年も大変お世話になり、どうもありがとうございました。

 この5年間、毎年参加させていただいている出羽三山の山伏修行は、毎年、改めて、この一年間の自分の心と身体を見つめ直す、必要な貴重な機会であることを感じさせられます。

 「御山に行く」ことを意識する頃から、今の(未熟な)自分のまま、御山に委ねるしかないというあきらめにも似たような覚悟を決めた気持ちになり、出羽への気持ちの上での準備が始まっていくようです。

 初めて出羽三山に来た頃は、初めての緊張や気負い、それから物珍しさからの観光気分もあったのですが、5年目となり、星野先生のおっしゃる、「御山に身を置く」ことを、淡々と行う心境となってきました。

 今回初めての大きな滝場での滝行は、その流れの強さに驚いたけれど、覚悟を決めて多岐に近づくと、押し戻されそうになりながらも、滝の中に入ることができ、静かな気持ちになりました。滝に抵抗せず、身を委ねるような気持ちで滝の中にいることができてよかったです。

 羽黒山は、これまでで一番登りやすく、体力がついたかなと思いきや、月山のほうで、足腰の弱りが出て、体力的に辛い部分があったので、来年までに足腰を鍛えようと決意しております。

 夜間とそうでは、暗闇の中、野生を働かせて歩くことがとても楽しいです。また、たくさんの宿坊に、たくさんの人たちが集っている様子や、ホラ貝が夜に鳴り響くことが日常となっていることも含めて、自然と山伏と里の人たちが一緒になって暮らしていることが素晴らしいと思います。

 今回も、初参加の方が何人かいましたが、皆、生き生きとして、自然の中で野生がよみがえるような姿を見ました。多くの人に、一度は出羽に来て体験してほしいなと思っています。

 毎年お世話になり、本当にありがとうございます。

 


●吉田恵子 (指導員・5回目)

 今回の参加は5回目になります。毎回、参加させていただき思うことは、大自然の偉大さです。お山を登るたびに、それを痛感させられます。

 出羽三山での修行は普段の生活では体験できない、貴重な修行をいくつも経験することができます。

 南蛮燻し、滝行、夜間徒走行、団張り、大先達に続いて唱える詞章や経文などなど・・・・。どれも都会のあわただしい生活の中では経験することができない貴重な修行ばかりです。

 私はこの中でも今回は、南蛮燻しでは、今までは般若心経がとても煙たくてとなえられなかったのですが、今回は結構、しっかり唱えることができました。

 また、先達の後に唱える詞章や経文はリズミカルで、しかも大自然の中で唱えるからでしょうか、心地よくなる感覚を覚えます。これも好きな修行のひとつです。

 また、滝行では、やった後は、頭が割れるように痛くてしょうがないのですが、その症状が終わった後は、何かつきものが落ちたかのようなすっきり感があり、大好きです。

 ここでも大自然の偉大さを感じることができます。今回は日ごろの修行不足がたたり、反省することばかりでした。もっと日ごろからの精進が大切だということを肝に銘じて、次回は参加させていただきたいと思います。

 

 いろいろご指導ありがとうございました。