第3章 第6話
上沼由美は、診察室に入って行くみなぎを偶然にも見送った。正確にはみなぎが、待合室で座っていた由美に気づかなかった所為だが。
由美は、みなぎの後を追った。誰もいなくなっていた診察待ちで、由美は、みなぎが出てくることを待つことにした。そこで突きつけられた事実。
(嘘…)
由美は、フラフラと立ち上がると不意に倒れ込んだ。
「大丈夫?」
「あっ、はい…」
「診察が終わっているからこっちで横になりなさい…」
身体を支えてくれた看護婦がそう言った。言われるままに、みなぎが入った診察室の隣の診察室のベッドに横たわりながら、高間の説明をみなぎと一緒に聞いた。
(みなぎ……)
みなぎは、中庭に出ると芝生の上に寝転んだ。
はーっ。何で俺なんだろう。そんな気持ちになる。
「ここ…いいかな」
初老の紳士然とした男性が声をかけてきた。
「えっ、あっ…どうぞ」
他にも空いているところはあるだろうにみなぎの横に座った。
「不思議だな…君は…」
「えっ?」
「顔見知りでもない胡散臭い奴が来ても、場所を変わらず、隣に招きいれる」
「……そうかな…」
「ああ…」
「まぁ、大した事では無いけど……全ての出会いには意味がある…って親父がよく言っていてさ」
「出会いには意味がある」
「ああ……出会いを、触れるものにするか、触れ合ったものにするかはその人しだい…だったら、この地球上で出会える数は知れているんだ…俺は、会う人と触れ合っていたい…ってね」
「そっか…西条厳弥だ」
「あっ…安藤みなぎ…」
みなぎは、そう言うと身体を起こし、手を差し出した。厳弥もその手を掴み返した。
「今日はな、わしの娘の命日でね…これから墓参りなんだ…」
「だったら…」
「義理の息子待ちだ……この場所で見る空が好きだと娘がよく言っていたから」
「そうなんだ…木々の枝が丁度フレームのようになって空を見せてくれるんですよね、ここ」と、みなぎは、寝転んだ。
「立ち入った事かもしれませんが…」
「ん?」
「娘さんは、何で亡くなったんですか?」
「白血病だ…当時は、治療法も無くてな…無いわけじゃなかったか……色々あったけど…どれもあわなかった…結局、残ったのは、何千万という借金だ…それはワシが払うといったが婿殿がな…それを拒否してな…ん、元気が無いな…安藤君」
「はは、俺も白血病なんですよ…さっき知ったんですけど……格好つけて、自分にだけ知らせて欲しいって言って…聞いたら怖いんですよね…死ぬって何だろうって」
「……存在がなくなる事だ…」
「えっ…」
みなぎは、西条を見た。ストレートな言葉に胸が痛んだ。
「死ねば君は無くなる……誰かは、君の事を覚えていてくれるだろう…親であったり、兄弟であったり、恋人であったりと…でも、時が無情にもその想いを薄れさせて行く…あの悲しみはなんだったんだろうか…そう思わせる程に想いを風化させる…」
「実感ですか…」
「ああ…死ねば、何も考える事はなくなるだろう…そこにどんな宗教的な理論を持ってこようとも、君の思いは図れない…」
「そうですね…」
あまりにもストレートすぎる西条の言葉にみなぎは考えるのが馬鹿らしく思えた。
「娘はな、何も言わなかった…だから、ワシは何も知ってやる事ができなかった…アイツが死んで、アイツが書き綴った日記を読む事ができた…人口十万あたりの発症率5.3人…男で見れば5.4人、女で見れば3.8人に一人の割合だ…それでも増加経過にあるこの病気は、娘が発症した時、更に低かった…『なんであたしが』って何日分の日記に書かれていた事か…病気は、当事者にしかわからない…不安材料ももちろん当事者にだけわかるものだ…」
「………」
「『いきたい』…その言葉が何度も繰り返し使われていた……」
「………なんで、いきたい、死ぬ…か」
「ああ…自問を繰り返すんだろうな…怖いよな、前が見えないのは…」
「………」
「明日という未来が見えなくなっているのは…でも、だったら、後ろ向きに生きるのもいい」
「えっ?」
「後ろ向きっていっても後悔をする事じゃないだろう…自分が歩んできた時間を振り返り、その一つ一つに想いをはせればいい、やり忘れた事、出来ていなかった事、挑戦し切れなかった、挑戦したけど諦めた事…一杯あるどうからさ…」
「充実させるという事?」
「いや、過ぎた時間は変わらない……これから起こる事もわからない…でも、未来に無限の可能性があるのなら未来を見据えればいい…いま、答えがなくても、答えが見つかる事も有るしな…」
「…そういうものですか?」
「わからん」
「………」
「そうだ!っていって貰えば安心できるか?」
「……厳しいな…その一言を待っている奴もいるんですよ…」
「そうかもしれないが…そんな事は、担当医が言うものだ…もっともワシが担当医だったら言わんがな…そんな無責任な医者を誰が信じる…」
「それは、そっか…」
「お待たせしました…」
「センセー」
「安藤君…」
「ん…健太郎の患者か…」
「ええ…」
「………」
みなぎは、苦笑して二人を見た。
「墓参りでしょ…行ってらっしゃい…俺はもう少し考えます…」
「そうか…」
みなぎは、空を見上げた。抜けるような青空を。
白血病。一般的に「白血球のがん (悪性腫瘍)」、もしくは「血液のがん」という広い意味合いで使われている。多くのがんが中高年に多発するのに対し、白血病は乳児から高齢者まで広く発生する。固形の腫瘍を形成しないため外科手術が適応できず、治療が困難であったため、不治の病とのイメージを持たれてきた。しかし、1980年代以降、化学療法や造血幹細胞移植の進歩にともない、治療成績は改善されつつあり、骨髄移植など昨今ではよくとりただされるようになった。
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