第6話
翌日。昼食を終えて、栞は、携帯電話を手にした。
ただ電話をするだけ。それだけだった。それだけなのに、ダイヤルする事ができない。何度、電話番号を呼び出して、ダイヤルをしようとしたのだろうか。その都度、電話を鞄になおしたのだろうか。ようやく押したダイヤルボタン。それは、コールもなく、相手の声を届けてくれた。
『もしもし…』
「あっ……」
『栞…』
「…覚えていてくれたの?」
『覚えているって言っただろう…』
「うん、そうだけど…」
『切って掛けなおそうか?』
「えっ?」
『電話番号も再登録できるし…、もう、俺からも掛けられるよ…』
「…莫迦…」
『昨日の事は忘れてないから…安心しろよ…』
「うん…」
『そうだ…』
「えっ?」
『呼び捨てにしていいって言ってくれた…他の誰もが敬称をつけるけれど、俺には…』
「……ン、言った…」
コーヒーショップを出るとき、栞は、一真の袖を握り締めていた。何か目的があったわけではない。ただ、なんとなく飛んでいきそうな風船の紐を掴むように握った。それだけだった。何故、その行動だったのかわからない。ただ、そうしていた。
一真は、困ったように苦笑しながら、栞の頭を撫でた。まるで、大人が子供をあやすかのように。
「酔って…いたから?」
「……信用ないね…呑んでいると…」
一真は、少し困ったように微笑み、栞の肩を抱きしめるようにして店の外へとでた。
「ごめん…」
「別に……謝られるような事はされていないけど…」
「……莫迦」
「家に待ち人がいるんだろう?」
「うん…」
「時間が無限だといいね…」
「えっ……」
「この時をいつまでも…てね」
「うん……そうね」
一つ一つの言葉は、他愛もない言葉だった。戻ってくる答えがわかるような問いかけ。その奥に置かれた真意は読み取ることはできない。ただ、「酔い」という言葉に自分を溺れさせないでいてくれている。理性は、幾分か間引かれているだろうが、その上で、一真は、真っ直ぐに栞を見詰めていた。
(この人は…目を見る人なんだ…)
そう、感じる程に真っ直ぐに目を見ている。
「これからも、会えるかな…」
「お店はやめる予定がないけど…」
「……個人的に」
「うん…一真さんが…覚えていてくれたら…」
「覚えているって…」
「だって、酔っているでしょ?」
「それなりに……」
「だったら…」
「少しは、信用して欲しいものだね…」
「酔っ払いの酔っていないほど信用のできない言葉は無いです……」
「それは、そうだな……朝起きたら覚えていないこと多いし…」
「ほら…」
「まぁ、それはそれだろう…」
「うん……」
「店では…栞ちゃんって呼ぶけど……それでいいのか?」
「うん……どう呼んでもいいよ…」
「……栞」
「!」
一真は、短くそう呼ぶとクスッと笑みを零しながら栞を見詰めた。
「駄目?」
「駄目じゃないけど…親にも友達にも呼ばれたことがないから…」
「じゃあ…俺は特別なんだ…」
―特別…か)……言ったね…」
栞は、電話の向こうで一真がニヤッと笑うのを感じた。たぶん、かなりの確立でそういう表情をしている気がした。
第1話
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栞の物語 第1話
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一真の物語 第1話
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