男女間の愛について、エロスの愛、フィリアの愛、アガペーの愛 | 駆け込み寺。一般社団法人【ガイヤのえがお】非営利団体 

 

 

 

今回は少し、愛について、

地上に降りた天使に学びました

 

本当は、地球評議会が日本に降りた時、

ある高貴な魂に【男女間の愛につて】学んだことです。

 

男女間の愛について

 

愛は、哲学では、エロスの愛:自己愛 フィリアの愛:友愛 アガペーの愛:神の愛とされています。

神の愛とは、すなわちイエス様の人類の罪を贖う愛、他者のために己れを犠牲にする愛、の尊さなのです。

 

その素晴らしさは次の一言に尽きます。

 

【人その友の為に己れの命を棄つ。これより大いなる愛はなし】

 

昔から、聖人と言われている人すべて、その愛を神々の導きにおり三次元の人々に示してきました。それはまことに精神美の極致ともいうべき昇化された愛の形であって、人は誰でもこのような愛を受ける時、自らの心も清められ、同じアガペーの愛の心を会得し、それを行おうと念ずるのです。

 

この愛は友情にも、親子の繋がりにも、兄弟姉妹の絆にも、また見知らぬ他人同士の間にも見出しえるものであり、実現し得るものでもあります。従来のキリスト教においては、他者への愛の絶対的な形、それには志を同じくせぬものや愚者や悪人への愛をも含めた、利己愛を完全に抜け出したものとして、解釈されてきました。これは仏教の慈悲の心と相通ずるものがあり、【衆生済度】の教えと源を同じくするものでしょう。

 

このような神の愛が利他的な、自己犠牲的な愛であることを学び、それを絶対的基盤とし、男女の愛すなわちエロスの愛については如何、と心迷うものとなります。アガペーの愛に通ずるプラトニックな愛で無ければならぬ、その以下のものは罪と見なされるのではないかと戸惑うことになるのです。

 

それは正しくありません。イエス様でさえ【自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ】と言われているのです。自分を愛する愛は利己的な愛であり、本能的な愛です。アガペーではない、フィリアといった友愛でもありません。そして、この自己への愛が精神的な成長と昇化によって他者への愛、すなわちアガペーとなるのです。つまり、本能の愛を知らねばプラトニックな愛も、アガペーの愛も生まれてきません。

 

ましてや、男女の正常な人間としての愛は、本能と理性のバランスを保ち、互いの人格を尊重し、思いやりと奉仕の気持ちすなわちアガペーの精神を持ち、しかもエロスの愛をも認めるものでなくては、人間の心身の健全さを保つ上において障害となるのです。人間は精神のみでなく身体を持つものであることを忘れてはなりません。

 

ピューリタン(清教徒的)厳格な愛は、自然に沸き出るエロスの愛を不自然におさえつけ、その結果2倍の強さの本能の衝動を耐えねばならなくなります。そして、それを律するに同じ強さの厳格な掟をもって身を縛らねばならない。厳格な人というのは往々にして、エロスの愛を認めず、道徳は禁欲主義であるといった歪んだ解釈をしています。それゆえに自らを掟で縛り、他を律し、精神の自由な広がりと健康な人生観を超えて、苦行僧の苦しみを意識下において味わっているのです。

 

備考:

さてどうでしたか、宗教宗派は、神・天から解散を命じられていますが、キリスト教・仏教などは、学問としての分類として、残ると思います。

 

そこの美しい人、お茶に行きませんか? 【こら~】 家内が怖いから、止めときます笑スタードキドキドキドキドキドキ

 

それでは、良い一日をお過ごしください