今の自分と向き合って、


泣く泣く手放した高松公演のチケット。


アルバムを聴くこともあまり乗り気ではなかったけれど。


情報すら拾わず聴いた2年ぶりのアルバム。


そこには、丸裸のミスターチルドレンがいた。


多分


このアルバムは


人生3周くらいした人、


いや


もっとかもしれない、


そんな人にしか届かないアルバムかもしれない。


それも理解して


メンバー4人で


ミスターチルドレンを追求してたどり着いた音。


そして


素っ裸の桜井和寿の歌詞があった。


そりゃ自然の中で歌うMVになるわな。


と納得させられた。


ずっと追い続けた桜井和寿の背中。


今回、


初めてたどり着いている気持ちになれた。


常に10年先を走っていた桜井さんは、


人間だった。


そして


私も人間になった。


やっと対等になれたかもしれない。


そう、思わせてくれたアルバム。




終わりがあると身体でわかっている人間から生まれてくるものは


この上なく


シンプルなものでいい。


そう。


ザーザーぶりの雨を

全身で受けながら

凛々としげるあの草木のように


遠回りもしたんだけれど


10年先も20年先も


おはようが言えたらいいね。


前を向いて。


それしかないのよ。

人間は。


ただそれしか。


言葉があるんやもん。


声もなく叫ぶ想いを

少しでも柔らかいものにしようとする力が

私たち人間にはある。


許し合う力も持って生まれてるよ。


…だから、セトリに口がすべってやったんやな…


今、書きながら納得。


そりゃ積み上げて叩き壊して


祈るしかないよね。。



ひとまず


そう言うことにしておこう。




重力と呼吸は若い世代と対等だと、若作りしてもがいたおじさま、

soundtracksではいろんなカッコいい衣装を着た年相応なダンディなおじさま、


そして


ここにきて

裸になった50代のおじさまの姿が。


これは


人間に音と、詩を乗せたものではなく、


人間を音と、詩に、乗せたアルバム。


これが多様性の本質だと思う。


もはやこれは人類音学。


それが、私の感想です。


桜井さん。


私の方こそ、ありがとう。


長い間握りしめていたものを

届けてくれて。


多分、きちんと受け取ったよ。