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今朝方夢を見た。
滅多に夢を見ない私は、見ているかもしれないけれど、意識を向けていないのかもしれない。

夢の中で私は、今朝鳴っていたカミナリを、心地良く感じていた。
一度目は本降りの雨の中、二度目は雨は止んでいて、カミナリはもう少し遠ざかった所からの音だった。
普通に考えるとカミナリの遠ざかる重は時間の経過を意味するので、私が夢を見ながらカミナリを聞いていた不確かな記憶なるものは、ゆっくりとした時間なのかもしれない。

夢の中の私は、次に描く絵の題材を探すために、脇に積まれた絵本の一冊を眺めていた。
主観的に絵を眺めている自分ではなかった。上から自分を斜めながら、実際に現実として描いた一度目の絵を意識していて、花の中に女の子を描いた私はなぜそのモチーフを使ったのか、それに気づいた時のことを思い出していた。


その一度目の作品が初めて絵を描くことになる作品で、習う前にインターネットで通える範囲の先生を探した時に、先生の作品を見ていたのだけれど、私が印象的に素敵だと感じた絵ではなく 、ほとんど印象に残らなかった、つまり忘れていたにも等しい絵にディテールがとても似ていたと、制作途中に不意に思い出した時。

先生の絵はさすがプロだと生徒の皆が感嘆する作品の数々だけれど、それとこれとは別の話しで、私にとっては他の絵に眼が惹きつけられたということなのだけれど。
しかし別の観点として、私は生活の全てに対して、すぐ見て取れるような人真似をすることが好きではなく、そこに独自性という「私だから」という想像力を加味したいと常に思っている。
だから自分自身が、無意識だとしても全く想像力が枯渇しているように思えたし、人とはそんなものなんだとも思えた。とにかく絵を描くことに関しては「あるものに対して、自分だったらこうしたい」という意識した想像力をプラスしなければオリジナルな個性は出せない、そんな単純なことに筆が止まったのだった。そして先生はどう思ってたのかと。

実際にはそれに気がついた時に、花のモチーフ以外を大部分変更したし、作品が仕上がった時に先生は、途中で会うごとに絵が変更されていくことで、仕上がりが不完全になってしまう不安に駆られたけれど、初作品にしては上出来だと褒めてくださったので、ホッとした経緯。
まさか先生に本心は伝えられない。


そんな実際に起こった経緯を夢の中で思い出している夢だった。
朝、目覚めた私は、ノートにすぐさま書き出しながら、ある記憶を辿っていた。
それは私の名刺を作ってくださったコピーライターさんとの会話だった。

ある有名な賞に応募したときのこと、発表前に夢を見た、
「夢の中では薄暗い天井から水がポタポタ落ちていてね、下には頭陀袋が置いてあって、中から沢山のネズミが逃げ出していく、そんな夢だったよ」
一見単純な夢の、自分の内なる気づきの奥深さ。
賞に焦点を当てた自分ではない。ネズミを雑念なんだと捉える凄さ。
夢の分析はやっぱり自分じゃないと出来ないですよね。
しかしそんな夢を見るって羨ましい。

ノートに夢を綴りながらおそらくこの夢を話す前に、今の感覚や感情は忘れるだろうし、上手く伝えられないから、今日はブログに、記録として残そうと思った。
私は人にわかりやすく伝えるのが苦手で、回りくどい。占いに来てくれる人がいつも、
「それはこういうことですよね」と要約する。

でも、それでいいんだと思っているけれど。