昨年 12月一日からダダダダーとここまで時間が過ぎました。
様々な事がありました。
その中で、一番お伝えしたい(自分覚え)事を書きます。
色々な中で、名古屋にある勅使池へと行きました。
嫁も同行の旅でした。
ぐるりと歩くのも苦にならない大きさで、ただただ
池を見る。池を見る。
そんな感じでした。
ぐるりと回り、改めて池を見ると丁度
夕暮れ時で日が沈むタイミングでした。
太陽からの光が池を介し、一直線で自分に向かってる
一筋の光を見た時に、太陽は僕(だけ)を照らしてくれている。
と、実感しました。
よく話をする同級生に、「太陽は僕の為に輝いている。」と言った
表現で伝えたことがありました。
この、僕の為、僕だけには
全ての僕に当てはまり、全ての僕は意識あるものがすべての僕で
あるという表現で伝えていました。
なので、僕と言う主体をその同級生自身に置き換えれば良いだけで
そこまでの話はしていました。
同級生は、笑って聞いているレベルのままでしたが、
改めて、勅使池で感じたことを丁寧に説明しました。
俺の言ってたことが間違いなかったよって。
嫁と自分と距離が近いにも関わらず、
自分に向かい光は伸びてきている。決して嫁の方への
光のラインを確認することはできない。
と、言う事は自分にただただ真っすぐに光を当ててくれている。
って事になるよね?
と話しをしたところ、素直ではない同級生も腑に落ちた様子でした。
光のスポットライトは、常に自分を照らしており
いつでも主役である。
この事が、とても感じられました。
なので、自らを無理に脇役にすることなく生きられることが望ましい事。
誰にでも当てはまる事なんだろうな。と想いました。
目に見える光のエネルギー。
目に見えない光のエネルギー。
どちらも、僕(私)へと流れています。
気が付かないまま過ごす事も良いかと思いますが、
気が付けば、より一層の太陽(光)への感謝につながると想いました。
当たり前は当たり前ではなく、
今ある現状は、天文学的確率の奇跡の中にあって
その中でありながら、自分自身が想う現実を想像する事が
とても難儀な流れではありますが、
奇跡の自分、と言う認識を持てたとすると
無理な事、無駄な事などのやらなくてもよい事が綺麗に
整理されるのではないかなーと想いました。
様々の経験のあったここまでですが、
今一度振り返り、整理をしたいと想いました。
光エナジー&ヒーリングⓇ
は、見えないですが感じることが出来るものです。
見えないものは目以外の感覚で受け取るしかなく、
その感度は、人それぞれと思いますが
確実にエネルギーは流れます。
なにはともあれ楽しく過ごしていきましょー!![]()


