小学5年生の時


あれはたぶんゴールデンウィークで
親戚がみんな我が家に集まっていた時、


私はむーちゃんと喧嘩をしました。


些細な喧嘩でした。


きっと、おもちゃをどっちが使うかとか
原因すら覚えていないようなもの


口がよく回るので大体勝つのは私です。


そしたらむーちゃんは
父である伯父Aに言いつけに行きました。


日頃から伯父Aは私に辛くあたり
母がそれを気にしているのは
わかっていました。


その日も伯父Aは
俺の娘に優しくできないなら
今すぐこの家を出て行け!と
私を怒鳴りつけました。


お前は人に優しくする心がない


思いやりがない


欠陥品だ


そんな言葉を吐かれました。


するとそれまで黙っていた母が


むーがひかりに何もしてないと
ほんとにそう思ってるの?!


と言い返しました。


喧嘩両成敗の日もあれば
私が一方的にやられる日もある、
そんな様子を母は見ていたのでしょう。


ふだん、伯父Aの言葉は絶対です。


誰も逆らいません。


そんな状況で母が言い返したので
そのあとは掴み合いの喧嘩になりました。


私の目の前で。


私が原因で母が殴られるのも
それを誰も止めないのも
親戚中みんな見ているのに
伯父Aに逆らう人がいないのも
全てが怖かった。


むーちゃんは
大好きなお母さんに抱っこされて
勝ち誇ったような顔で
私を見下ろしていました。


本当は数分なんだろうけど
殴り合いは何時間にも感じました。


結局この家では伯父Aに逆らう人がいないので
母が追い出されました。


私は、自分の意思で残ると決めました。


母と2人きりになると
今度は母から何を言われるかも怖かった。


親戚がいれば
叔父は小心者だから
これ以上の手は出さないだろうと思いました。


数時間後には
もっと立場の偉い親戚が来る


それまでの我慢だと思いました。


大叔母がぼそっと言いました。


ひかりはこのことを一生忘れないだろうね。


その通りです。


あれから18年経っていますが 
昨日の事のように思い出せます。


そしてその翌日には
むーちゃんとは普通に遊んでいたのだから
本当に伯父Aが激昂するような
問題ではなかったはずなのに。


昔の伯父Aは、
なにか私を怒鳴れることを探しては
呼び出して叱る人だった。


私は2時間くらいその怒鳴り声に耐えて
誰にも慰められずに泣いて
母には言えなくて
でもずっと逃げ出したかった。


今、伯父Aは伯母Aやむーちゃんとの
関係がとても悪く
よく酒に酔っては


俺が死んで泣いてくれるのは
バーさんとひかりだけだ


と泣いています。


果たして、私は泣けるのかな。


心が冷たくなっています。


本当に伯父Aの言う通り
思いやりや優しさがない、
欠陥品なのかもしれない。


でも叔父の葬式で泣けるか
自信がありません。


半々くらいの確率だと思います。


伯父Bの葬式ではたぶん泣きません。


お前のせいで一条家が滅亡する、
結婚しろ、痩せろ、このデブ、などなど
いろいろ言ってくださったので。


小躍りすると思います。


伯父Bもこの現場にはいましたが
母を助けてはくれませんでした。


私は祖父母に愛情いっぱい育ててもらったと
ずっと信じてきたけれど
きっと昔からこの家は
機能不全家族だったのだろうと思います。


大好きな祖父も
若い頃の話を聞けば聞くほど
父としてはいかがなものかと。


やっぱり、
私は欠陥品なんですかね。


実は同じことを数年前に母から
言われています。


母が不倫して性病にかかって手術をして
新卒の私が仕事を休んで
その看病をしていたけれど
1人ではやりきれなくて


母親が病気で嬉しいんでしょう
欠陥品が


と言われました。


たしかに、身内が具合が悪くても
心配にならないのです。


他の従姉妹たちがなにかあれば
心配にはなるけど
母伯父伯母むーちゃんあたりは
心配よりも苛立ちが勝ちます。


きっと本当に欠陥品なんでしょうね。