こんにちわ!
プロ縄跳びプレーヤーの生山ヒジキです☆

パート9までの続きより

 

パート1☟
https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12586012300.html

パート2☟
https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12586226881.html

パート3☟

https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12586737198.html

パート4☟

https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12587908460.html

パート5☟

https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12588947163.html

パート6☟

https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12590634391.html

パート7☟
https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12592416393.html

パート8☟

https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12594542641.html

パート9☟

https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12594829645.html

 

日本に体育のなわとびをもってきた人物は誰なのか?

今日はここからはじめていきます📚

 

シュピースの死後14年
1872年に明治政府は
小学校に「体術(のちの体操)」という教科を作り、
日本で初めて「体育」をスタートさせました!

 

そして1878年には、体育の指導者を育成する

「体操伝習所(現 筑波大学)」がつくられ、

そこでは、ヨーロッパやアメリカから体育の専門家をまねいて、

体操の指導法の指導がおこなわれました。

 

そのときに教授を務めたのが

アメリカの医師であり教育者のリーランドでした。

彼は1878~1881年まで教授を務め、

私はこのリーランドこそが
日本の体育になわとびが入るきっかけを作った人物ではないかと思っています。

 

リーランドはドイツのヤーン(パート6で登場)

の体操を基にした、アメリカ式体操を習得した教師で、
ヤーンの縄跳びの理論も熟知をしているため
体操の指導法の指導に加え、なわとびの指導もしたのではないかと推測しております。

 

そんなリーランドの活躍もあり
日本の体育になわとびが広まっていきました!

その最中もちろん書物に縄跳びが取り上げられることも

しばしばありました。

体育の縄跳びを取り扱ったもので1番古いものが

1885年に徳島県体操大演習会にて、縄跳びがおこなわれたことが大日本教育会雑誌の第26号に記されています。
※「楽しい長なわとび」(太田昌秀・長澤靖夫 著)より

 

 

ここで一旦なわとびの歴史は終了になります。
 

ここから先の日本のなわとびの歩みが知りたい方がいらっしゃいましたら
ぜひ「なわとび学」を読んでいただければと思います<(_ _)>

 

 

なわとびを範囲を超え、体育・体操・教育まで
話が広がってしまいました(^-^;
 

ただ、偉大なる先人方の縄の痕跡おかげで
なんとか今わかるだけの縄跳びの歴史を

薄くはありますが

1本の線(縄)で繋ぐことができました。
ありがとうございました!

まだ深く探ってはいけるのですが
それはまた別の機会で
記していきたいと思います。

 

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それではさようなわ(縄)