こんばんわ!
プロ縄跳びプレーヤーの生山ヒジキです☆

引き続き

なわとびの歴史を紐解いていきたいと思います📚

 

パート5までの続きより

 

パート1☟
https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12586012300.html

パート2☟
https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12586226881.html

パート3☟

https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12586737198.html

パート4☟

https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12587908460.html

パート5☟

https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12588947163.html

 

 

どの時点で体育のなかになわとびが導入されてきたのか・・・


そもそも体育というのはいつはじまったのか?

なわとび(縄跳び)の枠を少し超えてしまいますが

ここから今日は進んでいきたいと思います⌚

それは1774年
ドイツの教育者バゼドウが

デッサウ(ドイツ)に汎愛学院を設立し、

 

遊び、工作、体操、野外活動など

子どもの発達段階と生活経験に応じた

教育内容と教育方法を取り入れ、

なわとび運動もその教育内容に設立初期の段階から入っていたと言われております。
 

当時その学院の教師であったC・Gザルツマンは

1781年春より2年間務めた後

 

同じ目的の学校を

ゴータ候エルンスト2世等の資金的援助で,

チューリンゲンの森の麓のゴータ近郊の

シュネッペンタールの森の中に,
多い時でも数十名の家族的雰囲気の

汎愛学校 を設立し、自らが校長先生となり

専用の運動場で体育教官と補助主任が指導しながら

生徒全員が能力に応じて走・跳・投・平均運動などを行う

教科体育の原型がつくられていきました。

 

(ルソーと汎愛教育派について 一その身体教育論を中心にして一 坂入 明)より一部抜粋。

 

そして1785年アンドレに体育指導が委任されるころには
すでに時間割のなかに体育の時間が導入されており
その時間になわとびも行われていました。

※当時の時間割は午前7時から11時まで各種の授業,11時から12時までは体 育,12時昼食,昼食後2時までは休養, 自由遊戯,身体運動,2時から5時まで各種授業,7時 の夕食までおやつや自由時間となっていました。

 

さらにほぼ同時期に

ザルツマンの学校に体育主任として着任した

J.C.F.グーツ・ムーツは


1793年「青少年のための体操」を書き、

体育の運動を理論的かつその方法論も示し、

教育としての「体育」が独立するきっかけを作りました。


(レスリングの様子)

 

それが今の体育になります
グーツムーツは後に「近代体育の創設者」と呼ばれるようになります。
この本のなかでなわとび運動についても理論的に解説をしています

(詳しくはなわとび学にて)
 

またときをほぼ同じくして器械体操競技の基礎を作った

「ドイツ体操の父」と呼ばれたF.L.ヤーンは

1816年著書「ドイツ体操」にて、

なわの回旋技術にこう述べている。
 

「腕は体則につけて軽く曲げられ、両手は軽く伸ばされ、腰の付近におく。なわの振りは手首の関節の回転によってのみ生ずる。腕は全然関与しないか、あるいは関与したとしてもほんの少しだけである。」

※切手になったヤーン

 

先に紹介したグーツムーツも「青少年の体育」のなかでこう述べている
「両腕は脇で曲げられ、ほんの少しだけ運動する。両手は両脇の腰の高さに、幾分前の方におく。両手は短縄に十分な回旋が与えられるように上下から下方へ小さな輪を描いて運動する。」

 

こうしてなわとび運動の理論が構築されてきたのです。
 

そしてその意志を受け継ぐようなかたちで

ドイツの体操選手・学校体操および

女子体操の創設者・教育者であるシュピースが

1842年政府に「国民教育へのトゥルネンの導入」と題する論文を提出したことがきっかけの1つとなり、

学校への体育の導入が果たされたのです。

 

シュピースは学校教育のなかで体育を確立するために、

 

①全学校 の児童生徒にたいして体育を必修にすること。

②他の授業と同様に学級単位で体育を指導すること。

③他教科と同様の単一時間制を採用し、児童生徒の発達に応じて毎週の時間数を設定すること。

④教員またはクラス担任が体育の授業を担当すること、

授業用の体育施設を確保すること。

 

等を求めたのである。

 

※参考論文

「ドイツにおける新体操促進運動(Gymnastikbewegung)に関する 史的研究(1901 年-1933 年) -ドイツ体操連合(Deutscher Gymnastik-Bund)の設立と 活動の実際に着目して-」

安則貴香 著

 

結果として、シュピースの考えに倣うかたちで体育は、 一教科として採用されていった。

そして皆様ご存知のように

今日の体育まで

このかたちはほとんどのものが継続されている。

 

今日はここまで<(_ _)>

 

次回はがっつり

なわとびに触れていきます!

 

「シュピースとグーツムーツによるなわとびの教材化」

 

について探っていきたいと思います。

 

 

 

・facebook⇒「生山ヒジキ」にいいね!
・Twitter⇒「@hijikiikuyama」
・instagrum⇒「hijiki_ropeskipping」

 

なわとび小助LINEスタンプも絶賛発売中~

 

LINE STORE URL⇒http://line.me/S/sticker/1402054

LINE STORE 検索⇒なわとび小助

 

 

それではさようなわ(縄)