『日本国記』 限りなく真実に近いアナザーストーリー43C  アジスキタカヒコネの伯父たち(八王子)とその子供たち 23  オオドシとタケツノミとイワレヒコ 14  倭(ヤマト)の天照 8     ひじかたすいげつ 

 

 

 つづき

 

 第9代少名彦アジスキタカヒコには、第10代少名彦となる塩冶彦以外にもう一人息子がいた。多岐津彦である。彼は葛城川の上流の鴨神上に住み、後に父であるアジスキタカヒコと叔母の下照姫(シタテルヒメ)とその夫の建葉槌(天稚彦)の霊を祀る社を建てたという。アジスキタカヒコと健葉槌は双子とも兄弟ともいわれる。

 

 しかしここは、上賀茂ではない。葛城の高鴨神社。

 

 一般に言われる“事代主”は八重波都身ヤエナミツミのことである。しかし、古事記でいうスクナヒコナである出雲の副王少名彦スクナヒコを事代主という場合がある。ヤエナミツミが少名彦スクナヒコであったことから、古事記では少名彦スクナヒコ→事代主にしてしまい、少名彦スクナヒコを少彦名スクナヒコナに変え、大名持スサノヲ(王)の弟にした。そして、少名彦スクナヒコ(副王)ではなく、スナノヲの弟のひとりである「特定の人物」とした。

 

 つまり、出雲では長男の相続で、大名持=王、第6代少名彦の長男第7代大名持=天冬衣=スサノヲを、古事記は末子相続にして、末子=事代主=第6代大名持臣津野の末子=スサノヲ=天冬衣にした。また、第8代大名持=大国主=八千矛を、末子相続にして、末子=事代主=スサノヲの末子スセリヒメとし、その夫とした。

 

 そして、出雲では年少の別家長男を、少名彦=副王、第6代大名持臣津野の長男第7代少名彦=佐和気であり、佐和気の長男=第8代大名持八千矛=大国主であるのを、また、天冬衣の長男=第8代少名彦八重波都身=事代主であるのを、古事記は上記のように臣津野の末子=第7代事代主=スサノウ=天冬衣、第8代事代主=スセリヒメ=スサノヲの末子、大国主=スセリヒメの夫=ナムジとした。

 

 これらのことから、出雲の言葉と古事記の言葉を混同するとわけがわからなくなる。

 

 古事記のいう事代主は出雲のいう事代主(副王)八重波都身ではなく、出雲のいう大名持(王)であり、八重波都身も古事記のいう事代主、つまり古事記のいう王となっている。

 

 八重波都身は副王である第8代少名彦であった。事代主とも呼ばれたが、これは王の名ではない。当時の王は大国主と呼ばれ、第8代大名持八千矛であった。

 

 第8代大名持(王)=八千矛=大国主

 第8代少名彦(副王)=八重波都身=八重事代主=事代主

 

 

 そして、ヤタガラス鴨建角身は第8代大名持八千矛大国主の長男であり、第9代少名彦であった。そしてその子である塩冶彦は塩土翁とも呼ばれた。

 

 第9代大名持鳥鳴海は、第8代少名彦八重波都身事代主の長男であった。またその子国押富は第10代大名持であった。

 

 そして、第8代大名持八千矛大国主の長男が第9代少彦名味鋤高彦ヤタガラス鴨建角身。その子塩冶彦は第10代少彦名であり、その子である速𤭖之建沢谷地乃身(ハヤミカノタケサワヤジノミ速𤭖建佐和谷冶野見)が第11代大名持であった。

 

 

 そして、スセリヒメという姫は出雲にはいなかった。

 

 

 つづく

 

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