神様の家系図と日本人の家系図    アダムよりも古いのはなぜか  その26  応神天皇はだれか?(12)

 

ひじかた すいげつ

 

 

つづき

 

 

「トヨタ」と「ホンダ」

 

 

忍熊王に祟られた「本田(ほんだわけ)」は早くに亡くなっていた。

では、生き返った「ホンダワケ」はだれか?


元の名は「いざさわけ」。

 

大碓の子は「おしくろのえひこおう」と「おしくろのおとひこおう」と「いざさわけ」。

 

「三野之宇泥須和気みののうねすわけ」の祖になった「おしくろのえひこおう」は美濃南部で「美濃の守君もりのきみ」の祖になった。

 

「牟宜都君むげつのきみ」らの祖になった「おしくろおとひこおう」は美濃北部で「身毛津君むげつのきみ」の祖になった。

 

 

五十猛と大屋姫の子が高倉下と海忍人。

高倉下が「大沼主(うねす)」か。

高倉下は「高倉宇志」とも「手栗彦」とも「天筑摩」「熊野耳」ともいわれる。

 

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北陸蘇我系タカクラジは、北陸の紀伊(紀)国造家の親族。

「紀」は紀伊ではなかった。滋賀であった。

 

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「大碓・大田(おおたわけ)」には子供のひとりが「「三野之宇泥須和気(みののうねすわけ)」の祖になった。

もうひとりは「牟宜都君(むげつのきみ)」らの祖になった。そしてもうひとりは「誉田別(ほんだわけ)」。

「大沼主(うねす)」が高倉下なら、「えひこおうは」はタカクラジの後裔(うねすわけ)でもあった。

 

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「タカクラジ」は「武内宿禰」の先祖。

「えひこおう(美濃のうねすわけの祖)」の後裔は北陸蘇我家の紀(紀伊)家でもあった。

 

そして、「アメノオシヒト」は「尾張氏」の先祖。

「天忍仁(アメノオシヒト)」は「海忍人(あめのおしひと)」。
 

彼ら「大碓・大田(おおたわけ)」の子らは「北陸蘇我・紀(紀伊)家」と「尾張家」に。

「北陸蘇我・紀(紀伊)家」には「武内宿禰」が。

「尾張」と「蘇我系紀家」がつながった。

 

豊でもある尾張には「荒田(あらた)」がいる。

尾張名古屋には「トヨタ」が。

 

「トヨタ(豊田)」と「ホンダ(本田)」はつながった。

 

 

 

「いざさわけ」が「ホンダワケ」になった。

 

しかしまだ、「いざさわけ」の名はない。

 

 

 

 

つづく

 

 

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