ケアマネとは一体、何者か?  柴口 里則のブログ -10ページ目

ケアマネとは一体、何者か?  柴口 里則のブログ

ケアマネージャーとは一体何者か? 
  介護保険制度が生み出した、このバカげた職種をぶった切る

 平成25年4月より、その年の年末まで、厚労省が主催して学識者を集めて「ケアマネの在り方検討会議」なるものが開催されました。


 皆さん、ご存知でしたか?


 しかし、「学識者」と言ってものそのメンバーは、大学教授など現場の実態を何も知らない人達ばかり。

 地域包括支援センターの職員もメンバーに入ってはいましたが、本当のことは絶対に言わない「Yesマン」だから、選ばれたのでしょうから、全く意味がありません。


 ところで、その会議・・・。私も1回、傍聴に行きましたが、めちゃくちゃ。


 まず、座長を務めた、ある有名大学大学院の教授。何にも意見がありません。

 毎回、メンバーの中から2名ほどが、関連するテーマで発表をしますが、その時間管理を行っているだけ。


 しかし、問題になるのは、このメンバーの発表です。


 何の意見もない時間管理係のこの座長さんが、何とかの一つ覚えのように毎回「一人10分」と言っても、みんな言われたことを守らない。


 普段から欲求不満がたまっているのか、発表者は言いたいことを喋りまくるが、何を言っているのかわからない。


 だから、その後の討論の時間では、喋りまくった発表内容とは、全く、関係のないことが議論される。




 そもそも、ケアマネなど要らないものであるのは、誰でもわかっていることだが、この学識者諸君は、「ケアマネありき」から、発想が脱皮できない。


 結局、ケアマネの受験資格を「国家資格のある人から」という、訳のわからない検討結果が、NHKニュースでも報道されましたが、介護福祉士も国家資格。

 

 しかし、この「介護福祉士」は、ケアマネの試験といい勝負の簡単なテスト。

 

 高校生でも合格できる介護福祉士。この簡単なテストに合格した「国家資格のある人」が、高校生でも合格できるケアマネのテストに合格する。

 

 それで、一体、何が変わるのやら?????


 

 ケアマネには、居宅ケアマネと施設ケアマネがあるそうです。


 私は、今まで、「ケアマネとは?」を述べてきましたが、それは、「居宅ケアマネ」を前提にお話してきました。


 しかし、ケアマネには、「施設ケアマネ」があります。が、実は、この「施設ケアマネ」のが、はるかに問題になっています・

 なぜなら、今まで述べてきた居宅以上に、その存在意義が問われているからです。


 「施設ケアマネ不要論」は、ネット上でもにぎわっています。ご参考ください。





 ところで、私は現在、施設の介護職です。


 が、それであれば、っ私は、施設ケアマネさんは毎日会っています。もちろん、同僚職員の中のどの人が「施設ケアマネ」かは、もちろん分かりますが・・・。


 やっていることと言えば、利用者の私物の購入や入退所の事務作業などで、白澤政和の考案したという、あのプランという馬鹿げた紙を見せられたことは一切ありません。


 あたり前です。介護の方法を考えるのは、「介護をする人、受ける人」です。


 ケアマネのすることと言えば、現場の介護職員から聞いたことをもとに、形式的な目標や介護の方法を、あの白澤政和の考案したバカ紙に記入しているだけなのです。


 「私はケアマネージャー」というプライドを持って、就職すれば、まず続かないでしょう。


 「私はケアマネという雑用係」と思っているのが、勤続表彰を受けるポイントです。

 施設ケアマネの皆さん、ご参考ください。

 

 ケアマネ制度・・・。


 このデタラメな制度を作ったのは、そもそも誰なのだろう。


 もちろん、法制化されているので、国会審議を経ているのはもちろんであるが、では、問題になるのは、たたき台を作ったのは「誰か?」ということである。


 これは、今までの情報では、元大阪市立大学大学院教授の白澤政和のようである。


 白澤政和は、3.4年前のある研修講師を務めていた際に、あのゴミになる馬鹿げた紙である「プラン(サービス計画書)」の書式は、35年前から使用していると自慢していた。

 

 おそらくは、国会審議など形だけで、白澤政和の言いなりになって、厚労省の役人が言いなりになって法案化した内容で国会が通ってしまったのだろう。


 それでなければ、これだけ矛盾と無意味な制度ができるわけがない。


 70年前、負けると分かっていた戦争に突っ込んでいた、当時の日本政府の体質はほとんど変わっていないことが、このケアマネの現状を見ていると、如実に感じられる。