覚書5 哲学者との対話~オルテガ・25〈小林秀雄の「歴史」を考える5〉 | 秀雄のブログ

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オルテガの『大衆の反逆』は文明論の視点から大衆社会批判を述べたものであります。『100分de名著』で中島岳志氏が冒頭で述べているのは、『大衆の反逆』を通して、「リベラルと民主主義」を考える、という課題です。これは課題の設定に少々無理があるのではないでしょうか。

オルテガが「自由主義=リベラル」を擁護したというのはその通りだと思います。そして「自由主義の本質は、常に過去の経験知の中にある。それが他者に対する寛容であり、またそれを可能にするための儀礼や手続きである」というのもオルテガが指摘したことであります。

しかし、中島氏が言うような「立憲主義」まで説いたでしょうか。「たとえいまを生きる人間が決めたことでも、してはならないことがある」というのを「立憲」と呼ぶとしても、それを民主主義と相反する概念として、あるいは、立憲主義の考え方を取り入れた「死者とともに民主主義を行っていく」という所まで述べているでしょうか。

これはオルテガを「保守思想の水脈」の中に位置付けようとする「中島氏の思想」ではありますまいか。(その思想自体に私は賛同するものではありますが。)

氏のいうように「自由というのは本来、歴史的に構築された秩序や規範、基礎的なマナーやルールに担保されているというのがオルテガの考え方」だとするならば、そのような自由はナショナリズムと結びあわされたものでなければなりません。なぜならば秩序にしろ規範にしろ、マナーやルールにしろ、その国の歴史の中で涵養され、自生してきたもの、又は伝統と切り離せないものである為です。

ところがオルテガは『大衆の反逆』第14章に於いて「ヨーロッパ合衆国」を、即ち「旧来の国家観念を揚棄する」こと、ナショナリズムを超克することを説いているのです。