宮城県仙台市、登米市、気仙沼市の木造校舎巡り(2021/05/02-03) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回はの木造校舎巡りですが、仙台市泉区で1校、登米市で2校、

気仙沼市で1校の計4校の短編となります。

 

泉区は、仙台市を構成する5行政区の一つです。
1988年(昭和63年)に仙台市へ編入された泉市の市域が泉区の区域となりました。
名前は、泉区の北西に位置する泉ヶ岳に由来するそうです。

 

登米市(とめし)は、宮城県の北部に位置する市です。

岩手県との県境にあり、2005年(平成17年)に登米郡8町と本吉郡津山町の

合併によって誕生しました。

 

気仙沼市(けせんぬまし)は、宮城県の北東端に位置する市です。
太平洋沿岸にあり、三陸海岸の一部を占めています。
 

北方に泉ケ岳を擁する泉区で長閑な田園風景が広がる

根白石(ねのしろいし)地区に現役木造校舎があると聞いて訪ねました。

とても長~い平屋校舎です。

昨夜まで降り続いた雨で校庭には水溜りができていました。

ズームアップした校舎

1930年(昭和5年)築です。

地元の木材を用いて村の2年分の予算を投じて建てられたそうです。

 

正面玄関の近景

 

洋風なギャンブレル屋根の洒落た玄関ポーチ

 

格子天井に丸いランプがレトロですね。

 

表札も木製です。

 

長い校舎の右手には形状の異なる建物が連なっています。

講堂や特別教室でしょうか。。

 

校舎前に並んだ植栽は綺麗に手入れされています。

 

花壇に咲くチーリップやパンジー

 

花壇の手前の歩道には、遊び心溢れるペイントが施されています。

楽しそうですね。。

 

花壇の様子1

 

花壇の様子2

 

花壇の様子3

 

鉢植えもありました。

 

校庭の様子1

 

カラフルなタイヤの遊具

 

なかよく並んだプランター

根白石(ねのしろいし)小学校(現役)

仙台市内で唯一の現役木造校舎です。

沿革をみると、

1873年(明治6年)7月1日- 根白石17番小学校として開校
1886年(明治19年) - 根白石尋常小学校と改称
1941年(昭和16年)4月 - 根白石国民学校に校名変更
1947年(昭和22年)4月 - 根白石村立根白石小学校に校名変更
1955年(昭和30年)4月1日 - 泉村立根白石小学校に改称
1957年(昭和32年)8月1日 - 泉町立根白石小学校に改称
1971年(昭和46年)11月1日 - 泉市立根白石小学校に改称
1988年(昭和63年)3月 - 仙台市立根白石小学校に校名変更
2020年(令和2年)の全校児童は119名です。

雨上がりで校庭の状態は良くありませんでしたが、、木造校舎の温もりと

子供らの優しい心が感じられました。

 

石巻市から北上川に沿って国道342号を北上、登米市(とめし)

登米町(とよままち)に入ります。

同じ漢字なのに市名と町名で読み方が違うのです。。

登米大橋を渡りまっすぐ進むと、沿道にレンガ造りの正門が見えました。

 

「登米(とよま)尋常高等小學校」

現在は、教育資料館として使用されています。

 

当日は、残念ながら新型コロナ感染拡大防止のため臨時休館と

なっていました。

建物の中は当時の学校を再現した教室や、戦前の教育に関する資料を

展示しており、映画のロケ地としても利用されているようです。

 

校門の先の校舎群。

門扉の間から撮ったものです。

1888年(明治21年)に建てられたコの字形をした木造建築です。

正面玄関上がバルコニーとなっています。

両翼の寄棟校舎の先端には六角形を半分にした形の生徒用の出入口が

施されています。

校庭側へ周ってみます。。

先ほどの正面で見たよりも、とても重厚感溢れる校舎で圧倒されました。

引いてみると、校舎の巨大さが分かりますね。。

しかも2階建てです。

校舎を覆う屋根も巨大です。

何枚の瓦屋根が使われているのでしょう。

 

登米尋常高等小学校(1888年築、日本国重要文化財)

史上初めて欧米に渡り洋風建築を習得した日本人大工 、

山添喜三郎建築技師によって建てられた和洋折衷の木造校舎です。

100年経っても寸分の狂いも生じないそうですが、当時の建築技術の

高さが覗えます。

明治期の洋風建築として名高く、1981年(昭和56年)に国の重要文化財に

指定されています。

 

 

後身の登米小学校も同じ校地にあります。

 

校庭を挟んで向か側に建つ4階建て鉄筋校舎です。

 

登米小学校(現役)

2020年度の全校児童は187名、校舎の窓からは前身(登米尋常高等小学校)の

壮大な木造校舎を望めることでしょう。。

登米町には、教育資料館や警察資料館(県重文:旧登米警察署庁舎)のハイカラな

洋風建築物、廃藩置県当時に置かれた水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎)や

重厚な蔵造りの商家など、明治を偲ばせる建物が現存しています。

また、少し横道に入ると藩政時代の武家屋敷や史跡が随所に残っており、

それらの町並みから登米町は「みやぎの明治村」と呼ばれているそうです。
 

雨天の中、引き続き国道342号を北上、東和町(とうわちょう)に入ります。

東和町は、宮城県北東部、岩手県との県境にあった町です。

2005年4月1日に合併により、登米市となりました。

国道398号へと進み、道の駅三滝堂から奥に入っていくと、コンクリートの

古い校門が目に入りました。
門標には、「米谷國民學校相川分教場」とあります。

 

庭には車が1台停まっており、校舎らしき民家には住人がおられるようです。

 

雨が激しさを増して、レンズの水滴が白い点となって写ってしまいました。。

瓦屋根の郵便ポスト、階段上に平屋校舎です。

 

いつから住まわれているのでしょう。。

老朽化した木造校舎での生活は、雨漏りや冬場の厳しい寒さで

大変そうです。

 

樹木の陰にひっそりと佇む遊具

 

米谷(まいや)国民学校相川分教場

昭和初期に建てられたようですが、開校、閉校年や往時の様子等

情報が掴めず詳細は不明です。

門標以外に分校跡を示す石碑等は見受けられませんでした。

降りしきる雨の中、早々に後にしました。。

 

翌朝は、気仙沼市街から国道284号を西へ進み、下八瀬地区から

八瀬川に沿って北上しました。

 

気仙沼は港町のイメージが強いですが、内陸部は素朴で長閑な

自然に溢れています。

新緑に渓流、里山の原風景に心が癒されます。

 

しばらく走ると、小屋のようなバス停を見付けました。

かなり老朽化しているようです。

 

時刻表も貼り付いていたので、現在も使用されているのでしょう。

 

道路の反対側に小学校への階段が見えます。

 

分かり易い大きな看板です。

 

階段を登ると、2階建ての立派な木造校舎が2棟建っています。

 

右手は旧月立中学校校舎です。

 

一文字看板が壁に掲げてあります。

よく見ると、各文字の下には、

ツ:強い体、キ:清い心、ダ:大事な学習、テ:徹した努力、

というように、頭文字を採った標語となっています。

 

玄関の近景

両側の木板の表札は劣化して判読できませんでした。

 

校章はしっかりと確認できました。

 

その隣が、旧月立小学校です。

中学校舎に劣らず、見応えのある木造校舎です。

 

校舎の近景

 

中学校舎に無かった立派な玄関ポーチです。

 

色褪せた銘板は、何とか判読できました。

 

校舎の左端に煙突と片屋根の小屋が続いています。

 

「月の湯」とありますが、風呂場が併設してあったのでしょう。

子供らが運動後に入っていたのでしょうか。。

それにしては、少し小さい気がしますが、詳細は分かりません。

 

校舎裏の様子1

校舎裏の様子2

2棟の木造校舎が横一文字に連なった姿は、表から見るよりも

壮観な眺めですね。。

 

校舎裏の様子3

土手と並行して山に向かって伸びていました。

 

校庭の様子1

入口から校舎の前はアスファルト、校庭はバラスが敷かれていました。

 

校庭の様子2

 

壊れた百葉箱と奥にプール

 

校舎前の石碑

 

月立中学校閉校記念碑

校歌を刻んでありました。

1998年(平成10年)新城中学校とともに新月中学校への統合に伴い

閉校となりました。

 

月立小学校旧校舎

1922年(大正11年)建築、1941年(昭和16年)増築の木造校舎です。

旧中学校舎と並び2階建て瓦葺、堂々とした風格のある校舎は、

2007年(平成19年)7月31日、国の登録有形文化財に登録されました。

次回訪れる機会があれば、構内も見学したいと思います。

 

月立小学校(現役)

木造校舎の校地より少し上がった場所に建ってます。

2021年(令和3年)の入学児童は2名、全校児童は21名と、

複式学級の小規模校です。

少数精鋭の山の学校ですが、豊かな自然の中でのびのびと

育ってくれることでしょう。。