西海市(さいかいし)は、長崎県西彼杵(にしそのぎ)半島の北部に位置する市です。
2005年(平成17年)4月1日 、 大瀬戸町・西彼町・西海町・大島町・崎戸町が合併し、
新・西海市となりました。
五島灘・佐世保湾・大村湾に囲まれ、周辺地域がリアス式海岸で、海岸線は
複雑に入り組んでいます。
明治以降は石炭採掘が始まり、各地の港は大いに賑いましたが、
炭鉱も全て閉山した現在は人口の流出に歯止めがかかりません。
長崎市北部は、西海市南部に隣接する旧外海町(そとめちょう)を訪れました。
外海町は、かつて西彼杵郡に属する独立した自治体でしたが、
2005年1月4日に同じ西彼杵郡の香焼町・伊王島町・高島町・野母崎町・三和町と
共に長崎市に編入されました。
町は、神浦(こうのうら)地区、黒崎地区と炭鉱で有名な池島地区から成ります。
東側は西彼杵半島中央の標高300-500mの山地、西側は角力灘(すもうなだ)が
広がり、全体的に西向きの丘陵地となっています。
雲仙市(うんぜんし)は、長崎県島原半島西部に位置する市です。
2005年(平成17年)10月11日 、 国見町・瑞穂町・吾妻町・愛野町・千々石町・小浜町
・南串山町が新設合併し雲仙市が誕生しました。
雲仙地区は1934年3月16日に雲仙国立公園として、瀬戸内海国立公園,霧島国立公園
(現・霧島錦江湾国立公園)とともに日本で最初の国立公園に指定されました。
西九州自動車道、佐世保大塔IC下車後、針尾バイパス、西彼杵道路を経て
大串IC下車、県道12号を内陸へ入って行きます。
途中から県道229号を進み、旧大瀬戸町雪浦幸物郷(ゆきのうらこうぶつごう)集落に
入ると、山深い中に切り開いた棚田が青い稲穂を揺らしていました。
沿道の案内板には、閉校となった分校への感謝の言葉がありました。
程なく分校跡を示すバス停が見えてきます。
道路脇のスペースの斜面に最後の児童の似顔絵が描かれています。
閉校時の児童は4名だったようです。
中央に建つ立派な閉校記念碑
分校のレリーフに哀愁漂う言葉が添えられていました。
校舎へ続くスロープの角に組体操する児童の姿が描かれています。
2011年(平成23年)度の卒業制作です。
分校で過ごした中で最も楽しかった思い出の一コマに違いありません。
階段を上ると重厚な造りの建物が現れましたが、外観や構造からみると
体育館のようです。
さらに上段には雑草だらけの校庭が広がっています。
隅の遊具は遊び相手もなく寂しそうに見えました。
小さな用具倉庫には楽しそうな表情のペイントが描かれています。
2003年度(平成15年)の卒業記念製作です。
フェンス際の立て看板には、往時の教育スローガンが。
雪浦(ゆきのうら)小学校幸物(こうぶつ)分校(2013年閉校)
敷地が狭く、体育館の奥に教室棟が縦に並んでいます。
軒下のアスファルトの割れ目から雑草が突き出し、長らく手入れも
されていない様子です。
山奥の分校ですが、校舎はしっかりしているので、別の目的に利用されることでしょう。
1991年度の在校児童は25名でした。
県道229号をさらに3kmほど南下すると、眼下に赤い瓦屋根が現れました。
閉校となった校舎は、「音浴博物館」として利用されているようです。
平屋のこじんまりとした木造校舎です。
奥に車一台が停まっていましたが、時間帯からみて観光客ではなさそうです。
時計は2時間ほど遅れていました。
営業時間は10時からなので、いずれにしても入館はできません。
館内には、ゼンマイ式の価値ある蓄音機や、16万枚ほどの昭和時代のレコードの
コレクションが所蔵されているとのことです。
往時の面影を偲ばせる正面玄関
先ほどの壁時計の下に大瀬戸町の手造りの観光案内図が掲げてあり、
現在地として、「開拓分校」の名がはっきり読み取れました。
雪浦(ゆきのうら)小学校(久良木(きゅうらぎ))開拓分校(1976年閉校)
1957年(昭和32年)築の開拓分校は、閉校後1980年(昭和55年)に増改築され、
1995年(平成7年)まで日本赤十字社大瀬戸寮(ベトナム難民援護施設)として
利用されたそうです。
その後、地元の方々の協力により、2001年(平成13年)に「音浴博物館」が開設されました。
今ある建物は2004年(平成16年)に修復、改築されたものとのことです。
数々の変遷を経ても、取り壊されることなく活用されている山奥の分校。
地域の宝としていつまでも継続されることを願っています。
県道229号を南下し、西海市から長崎市内に入ります。
県道57号を進み、旧神浦(こうのうら)町扇山地区の
沿道に旧分校前のバス停を見つけて立ち寄りました。
避難所の標識から分校跡であることを確認しました。
往時の門柱が残っていましたが、コンクリートブロックに表札はありませんでした。
神浦(こうのうら)小学校扇山分校(1985年閉校)
残念ながら、校舎は解体され公民館が新築されていました。
往時の記念碑も見当たりませんでした。
西彼杵半島の西海岸に出ました。
遠く五島灘に続く沿岸部は角力灘(すもうなだ)と呼ばれています。
柱状の奇岩が並び、絶景を楽しむことができます。
ちょうど一隻の貨物船が白波を立てて通り過ぎて行きました。
その向こうに台状の島が望めます。
かつて炭鉱で栄えた池島ですが、2001年(平成13年)に閉山しました。
九州の炭鉱の中で、最後に閉山したのが池島炭鉱です。
ズームアップすると、丘陵の上に高層住宅群が見えますが、ほとんどが
無住となっているようです。
遠方からも活気の無さ、廃墟感が漂います。
1970年(昭和45年)の最盛期には、7,700人の人口を擁したた島も、
2001年(平成13年)の閉鉱時には、2,700人となり、
2016年(平成28年)には157人まで激減しました。
学童も同様に減少し、池島中学校は2015年に休校となり、
池島小学校2016年現在、在籍児童数は1名のみとなっています。
角力灘を臨みながら国道202号を南下していくと、外海町出津(しつ)集落が見えてきます。
かつて外海一帯には5,000人近い信者がおり、江戸幕府の弾圧を受けましたが、
大村城下から遠く、また出津や黒崎などは比較的寛容な佐賀藩の飛び地も混じり、
多くの潜伏キリシタンが存在したそうです。
角力灘を見下ろす丘に建つ石碑は、
外海を舞台に描かれた小説『沈黙』で知られる作家・遠藤周作の沈黙の碑です。
国の重要文化財に指定されています。
(主演は吉永小百合と二宮和也、監督は山田洋次。)
全国野鳥保護の集いで文部大臣奨励賞を受賞するまでにいたったそうです。