丹後半島(たんごはんとう)は、京都府北部の日本海に北東に突き出た半島です。
海岸など一部は、丹後天橋立大江山国定公園に含まれます。
京都府京丹後市と与謝郡伊根町の全域、与謝郡与謝野町と宮津市の一部が含まれます。
全国的に有数の降雪地帯で、冬以外でもさっきまで晴れていて突然雨が降り出すような気候であり、
『弁当忘れても、傘忘れるな』という言葉があります。
古代より大陸との交流が盛んな所で近年の考古学的発掘によりこの地方に一大勢力があったことが
確認されています。
丹後地方では江戸時代中期より絹織物が発達し、丹後ちりめんとして有名です。
観光地や景勝地が多く、夏は海水浴、冬は蟹料理を目当てに訪れる観光客で賑わいます。
伊根町(いねちょう)は、丹後半島の北東部に位置し、舟屋で知られています。
漁業、観光が主な産業です。
伊根町筒川、本庄浜には浦島太郎伝説が、新井には徐福伝説が残っています。
京丹後市(きょうたんごし)は、京都府中郡峰山町、大宮町、竹野郡網野町、丹後町、弥栄町、
熊野郡久美浜町の6町が2004年4月1日合併し、市制施行して成立しました。
峰山町(みねやまちょう) - 京極高知が築いた丹後藩の伝統を伝える峰山藩のあった地として
知られています。
丹後半島の中心に位置し、『天女の羽衣伝説』で知られる町です。
丹後町(たんごちょう) - 近畿地方最北端の経ヶ岬と、そこに立つ灯台があります。
また、難読地名としても知られる「間人(たいざ)」は「間人ガニ」で知られています。
弥栄町(やさかちょう) - 丹後半島のほぼ中央に位置し、細川忠興の妻・ガラシャ幽閉の地です。
京丹後市内最大の病院である「京丹後市立弥栄病院」(旧:弥栄町国民健康保険病院)があります。
丹後半島の東海岸を国道178号に沿って北上し、
舟屋で有名な伊根町大原地区にあります。
鉄筋校舎が残っておりましたが、全体的に黒ずんでおり
歳月の流れを感じました。
そして、閉校記念碑には「永久に」との文字が、
背面に閉校年月日が刻まれていました。
国道178号から県道57号に入り、内陸へ進んだ伊根町本坂地区に
あります。
訪れた当時、少年達がサッカーの合宿で来ており、練習の準備中でした。
校舎は鉄筋3階建てですが、それほど老朽化した外観ではありませんでした。
正面玄関が、鉄骨を赤く塗装し箱のようになっていて側面から出入りする造りが
印象に残っております。
丹後半島本庄付近の道路標識。
迷わず直進しましたが、右折すれば、浦島伝説の残る浦島神社があります。
漁港には、巷で人気の漁港めしの幟が見えました。
蒲入漁港で水揚げされた 旬の魚を堪能できます。
それぞれの表情を見せてくれました。
天女や浦島伝説も頷けます。
これまでに訪れた中で、最も難読な校名のひとつです。
国道178号から県道654号に入り、内陸に進んだ丹後町小脇地区にあります。
人家も無い細い道が途中で枝分かれしていることと、沿道から見難いことから
何度か引き返して、たどり着いたのを覚えております。
沿道からの入り口は、鞍内キャンプ場の看板が目印となります。
深い山々と伸びすぎた潅木に埋もれるようにひっそりと校舎が佇んでおりました。
窓ガラスは割れて、手入れもされず廃墟と化しておりました。
窓から突き出したストーブの煙突が、山深い丹後半島内陸の冬の厳しさを
物語っておりました。
人家も無いひっそりとした山奥に、こんな大きな校舎があったことが驚きです。
閉校時の全校生徒は、僅か2名でした。
丹後半島中央の弥栄町野中集落にあります。
田園に浮かぶピンクの建物が目に入り、地元の方に尋ねて
冬季宿舎であったことを知りました。
冬季宿舎がある地域は、豪雪地帯であるということです。
冬場は陸の孤島となり、自宅から通学もできないためこの寄宿舎で
子供達が過ごしていたそうです。
閉舎後は保育所となっておりましたが、現在は「野間の家 もんやこ」という名の
都市農村交流施設として利用されております。
「もんやこ」とは、但馬地方の方言で共用するとの意味です。
平屋建ての宿舎が逆L字型に配置され、雑草の敷地に
小さなプール(水浴び場)がありました。
丹後半島西部を縦断する国道482号を南下し、峰山町鱒留(ますどめ)
集落にあります。
民家数件ばかりの長閑な山間集落に、味わい深い木造校舎が残っておりました。
校舎の玄関の壁には、集落の歴史を語る活気に満ちた写真が掛けられたおりました。
写真の一枚を見ると大正7年に入植したようですが、分校の盛衰とともに
おじぎ草の一種でしょうか。
すぐに散ってしまいそうな花が惜しいと思って撮りました。






























