北から南へ「天守」シリーズ』は、一応、北から始めて南まで辿ってきましたが、10城くらいが抜けていましたので、再度北から再度辿っています。

 

本日第71回目となりますお城は、RC造り模擬の「富山城」(富山県富山市丸の内)天守をお届けします。

 

初回は、「プロローグ」ということで「天守」についてのエピソード等をお話をし、2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載してきました。

 

 

「天守(御三階櫓含む)」の構造などの特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。

 

・JR高山線・北陸新幹線・あいの風とやま鉄道「富山駅」より徒歩約10分 又は環状線(セントラム)「国際会議場前」下車徒歩2分

 

〇RC造り模擬「富山城 天守」

・三重四階、望楼型、連結式・複合式(北から西へ「多門」が続きその先に模擬「隅櫓」、東に「多門」が付随)

屋根は「瓦葺」

は「白漆喰総塗籠め」、「廻縁・高欄」

は「竪格子窓」、最上階四面に「華頭窓」

破風は妻側南一重目の左寄りに「千鳥破風」、妻側二重目に「向唐破風」、桁側二重目に「入母屋破風」

軒裏と軒垂木は「白漆喰総塗籠め」    

内部はRC造りで富山市郷土博物館

天守台は「野面積み・乱積み」

 

「富山城 天守」の歴史

・天守台の土塁は盛られたが「石垣」「天守」は築かれず

 

城主(藩主)

・1543年に「神保氏」の命で「水野勝重」が築城

・1572年に「一向一揆」が占拠

・1576年に「上杉謙信」が略奪して家臣が城代として入城

・1581年に「織田信長」が越中を制圧

・1582年に「佐々成政」が入城して近世城郭化

・1585年に「成政」と「羽柴秀吉」が対立後「前田利家」が越中を領有

・1605年に「前田利家」が改修

・1609年に火災で建造物焼失し居城を移し家臣の「津田義忠」が城代で入城

・1639年に「前田利次」が10万石で富山を所領

・1640年に「前田家(越中)」の居城となり、以降幕末維新まで「前田家(越中)」が領有

 

RC造り模擬「富山城 天守」(「千鳥破風」が左端に付く、南面)↓

RC造り模擬「富山城 天守」(「石落とし」が見える、南西隅を見上げる)↓

RC造り模擬「富山城 天守」(「鉄門」跡枡形内から、西面)↓

RC造り模擬「富山城 天守」(模擬「隅櫓」と模擬「二重多門」、西面)↓

RC造り模擬「富山城 天守」(「西の丸」跡から、北西方向から)↓

RC造り模擬「富山城 天守」(「本丸」跡から、北面)↓

RC造り模擬「富山城 天守」(「千歳御門」前から、北東方向から)↓

RC造り模擬「富山城 天守」の階段↓

RC造り模擬「富山城 天守」の望楼(最上階)から「廻縁・高欄」への出入口↓

RC造り模擬「富山城 天守」の最上階の「華頭窓」↓

RC造り模擬「富山城 天守」から模擬「隅櫓」と「本丸」跡方向↓

RC造り模擬「富山城 天守」から「大手筋」方向を望む↓

RC造り模擬「富山城 天守台」(野面積み・乱積み、隅石は「算木積み」)↓

 

 

 

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